照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

見えない価値について②ー彼女のその後

前回、人員削減の憂き目に遭った人の事を取り上げたが、その人は結局、本部のまったく異なる部署へ誘われ、それを受け入れたそうだ。やはり、見るべき人はきっちり人を見ていると、他人事ながらほっとする。

本部では、人員削減対象としてあげられた人の名を見て驚いた。本部での、事務所長の上司という立場にある人は、ことある毎に、その職場を訪れていた。そのため、今回対象になった人の仕事ぶりも、よく知っていた。だが、事務所長への人事的口出しはできない。

どうしたものか考えているうち、折良く、まったく職種は異なるが、ある部署で欠員が出た。早速打診すると、快く受けてくれた。

その人にすれば、いいタイミングと飛びついた訳ではなかった。職種の違いにより多少給与も下がるその仕事を受けることにしたのは、熟考した上の事であった。それはとりもなおさず、自分への誠意であった。

長年、真摯に仕事に向き合い、誠心誠意働いてきた挙句、自分などまったく評価の対象外とも思える仕打ちに、もやもやは残った。だが、自分を認めてくれる人への感謝が勝った。せっかく声をかけてくれる人がいるのに、断ったりしたら、自分に申し訳ないという思いもあった。

移動して間も無く、今度は本部で、以前と同様の職種で空きが出た。それを彼女に知らせるよう、かつての同僚たちに勧めたのは、いち早くその情報を知った元上司だ。

だが、彼女は動かなかった。なぜ元上司が、直接連絡してくれないのかとの疑問もあった。思えばそこには、彼女が抜けたことを契機に、低下しっぱなしの皆のやる気を高め、成果をあげたいと目論む、かつての上司の思いが透けて見えた。

また、自分が今の仕事を受けたのも、次のチャンスを待つ間のつなぎという軽い気持ちからではなかった。その部署では、確かに自分の専門性は活かせない。それでも、配属されて日も浅いのに、待ってましたとばかりに直ぐ移動するのは、自分の生き方に反する。その姿勢こそが、人へ及ぼしていた良い空気である。だが、それは見えにくい価値で、人にも本人にも意識されにくい。

その一連の出来事の中で彼女は、自分が向き合うのは上司ではない、評価を受けたいのも上司ではないという大事な部分に気付いたと言う。人の役に立っているという自負があるから、これまで頑張ってこれた。それにも関わらず、出世欲だけの人の道具にはなりたくないと思いが湧き、動かなかったという。

その後もう一度、同様なことがあったそうだ。だが、彼女は、今の仕事も、安易な気持ちで引き受けたのではないと、動かなかった。そのような彼女だからか、更にもう一度、チャンスが用意された。そしてその時は、欠員ができた部署の長から、ぜひ来て欲しいと直接連絡が来た。

結果として彼女は、今度は本部で、元の職種に返り咲いた。在るべき場所に収まったという感じだと、友人は、我が事のように嬉しそうに話してくれた。

その人に価値があれば、必ず目に留めてくれる人はいるものと、聞いている私まで嬉しくなってしまった。まさに、捨てる神あれば拾う神ありだ。人が気づかないところで、意志では操作しようのない大きな力が働き、必ず上手い方向に作用する。ふとそんなことを感じた一件であった。