照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

本当に必要なことは必要な時に与えられる

長男が幼稚園の年長の時、交通事故にあった。路地から車道に出た時、渋滞で車は止まっていた。そのまま反対側へ渡ろうと、車の間を抜けていった。友だち数人と歩いていたが、先頭にいたのが長男だった。

丁度その時、車が来てぶつかった。だが幸いなことに、二車線の狭い道路だが、そちら側もやや渋滞気味で、その上、踏み切りも近かったため、スピードを落としていた。

ぶつかった弾みで、手に持っていたサッカーボールが転がった。すると、その前にある店の方が、それを拾って、ボールに書かれた連絡先、つまり我が家にすぐ電話をくれた。

また、事故があった目の前のお蕎麦屋さんで、たまたま食事していたのが、隣の八百屋さんであった。うちの子と気づき、こちらも直ぐに知らせに来てくれた。そこから家までは、歩いて2、3分である。

次男が昼寝の最中であったが、起こしている暇はない。後で、誰かに来てもらうことにして、財布を手にすぐ向かった。

3階から下へ降りて数歩行くと、驚いたことに、夫の母が角を曲がって来くるのが見えた。夫の実家は徒歩圏内にあるが、仕事があるため、いつもはその時間にそこを通ることはない。それがたまたま、用事があったと言う。事情を話し、留守番を頼んだ。

事故現場に着けば、これまた折良く、搬送帰りの救急車が居合わせたということで、私が乗るとすぐに、救急病院へ向かった。そこは、自宅からも近い脳神経外科であった。診察の結果、特に問題なしでホッとしたが、念のため後日もう一度来て下さいと言われた。

義母から連絡を受けた夫が、病院へ迎えに来てくれて、次に、これまた近くの警察署へ向かった。そこでいろいろ聞かれた長男は、ボールを抱えたまま、車にぶつかったと答える。ボールが転がったのを追っていったのではないかと、再三聞かれたが、一貫して、抱えていたと主張する。

トラックの運転手さんも、ボールが見えたので、すぐ車を停めたと言う。多分、ボールが車と接触して、長男がひっくり返ったものと思われる。

その晩、長男は具合が悪くなることもなく、その後の再検査でも大丈夫であった。事故翌日の夜、上司の方共々、長男ばかりか次男にまでオモチャを持って見舞いに来てくれた運転手さんには、本当に申し分けなく思った。ご迷惑をかけたのは飛び出した長男なので、ただただ、こちらの不注意をお詫びするばかりであった。

また、一緒にいた子のお母さんたちも、それぞれ見舞いに来てくれた。そのうちの一人は、うちの子が、みんなに渡れと、号令をかけたそうでと、消えいらんばかりに、お詫びをされた。その子のせいではないから、気にしないでと言っても、恐縮しきっており、かえって申し分けなかった。

長男はまったく無傷で、これはまさに、不幸中の幸いだった。手を貸してくださった皆様には、今尚、本当に感謝の思いで一杯だ。

と同時に、物事がまるでリレーのように上手く運ぶことに、とても不思議な感じがした。私には、信仰もなく、墓参りなどにも熱心ではない。だが、きっと人には、本当に必要なことは必要な時に、与えられるものなのかもしれないと思えた。

ちなみに、この時は人であったが、これに類したことは、物やお金と形を変えて、その後数回起こったが、まったく不思議の一言だ。