照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

良く晴れた朝ー会社とは反対方向の電車に乗って

   "運転手さんそのバスに
    僕も乗っけてくれないか
    行き先ならどこでもいい"

ラジオから流れてきた、ブルーハーツの青空。よく晴れ渡った朝は、羊の群れから離れ、会社とは別の方向へ向かう電車に乗りたくなる。

今はもう、大人の分別が付き過ぎて、そのようなことはできない。だが、若い頃は違った。良く晴れたある日、会社へ、いきなりの欠勤を電話で告げて、そのまま反対方向へ向かう電車に乗ったことがある。

当時、私は中央線沿線に住んでいた。新宿方面への電車に乗る代わりに、高尾行きに乗った。そこから乗り継いで、甲府まで行った。もちろん、各駅停車のローカル線だ。

初めて降りた甲府、町中を少しぶらぶらしてから、駅に戻り、次は、身延線に乗った。初めて目にする風景は、何とものどかだ。鯮沢口、下部温泉と、富士山の裾をぐるっ回って、終点の富士までは3時間の旅だ。そこから先は、東海道線へ乗り継ぐ。

小田原で降りて、海のそばまで行ってみた。茨木のり子の詩にある、根府川ではなかったが、同じ相模の海だ。だが、浜辺を歩いてみたものの、夕暮れ時の海は、人気もなく少し怖くさえあった。

海を眺めている人のイメージを膨らませて、かっこつけている場合ではないと、直ぐに駅まで取って返した。自分用に、蒲鉾を買い、再び電車に乗り込む。

小田原から東京までは、途中下車することもなく、一直線に戻ってきた。東京駅から中央線に乗り、ようやく自分の部屋へ辿り着く。ずっと電車に乗りっぱなしで、すっかりくたびれた身体とはうらはらに、気分はまったく爽快であった。

行き当たりばったりの各駅停車の旅は、若かりし頃の、まことにささやかな冒険だ。責任感旺盛の今は、あのようなことは、もう2度と出来ない。

あまり声高に勧められることではないが、人生で1、2度は、弾けてみるのも、いいかもしれない。"こんなはずじゃなかっただろ"と、未来の自分から問い詰められるよりは、自由に羽ばたく日があってもいい。

   "運転手さんそのバスに
    僕も乗っけてくれないか
    行き先ならどこでもいい
    こんなはずじゃなかっただろ?
    歴史が僕を問いつめる
    まぶしいほど青い空の真下で"
               (ブルーハーツ・『青空』より)

見知らぬ町で、バスに乗った先にある風景はどんなだろう。それを知るかどうかは、自分次第だ。