照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

想像力が欠ければ善意も迷惑になる〜相手の身になって考えることが大事

熊本市に救援物資を送りたいからと、全国から電話問い合わせが殺到して、職員がその対応に追われ、今必要な業務、物資を被災者に届けたりすることができないからと、市長が4/19日のツイッターで電話自粛を呼びかけていた。

どうしてこんな時にいちいち電話するのかと、まったく、想像力の一欠片もないことにため息がでる。かける方は自分一人と思っているだろうが、受ける方は、大変な労力になる。寄せられた支援物資を仕分けることもできずに、電話に張り付いている姿を想像してほしい。

被災地で何が求められているのかを知るのも大事だが、何かしたいがどうすればいいのか分からないという時、個人なら義援金で応援するのが一番だ。熊本県も独自に義援金の受付をしているが、日本赤十字社でも受け付けている。

郵便局で、ゆうちょ銀行の口座へ振込むなら、振込手数料が無料だ。振込方法が分からなければ、義援金を送りたいと言えば、窓口で用紙をくれる。振込用紙への記入は自分でするので、口座番号と振込先名はメモしていく。

いくら善意の気持ちからでも、その行動に想像力が欠けていたら、善意どころか迷惑にしかならない。5年前、被災地でボランティアをしていた方が、届いた賞味期限切れの食品や、洗濯されていなかったり、傷んでいる衣類に困惑した経験をツイートしていた。

またその当時、音楽で被災者を元気づけたいとのアマチュアからの申し出も多数あったが、控え室やマイクを用意してくれとの要求や、断ると怒ったりすることへ、避難所は発表の場じゃないと、憤りを覚えたようだ。

どのような状況なのか、少し考えればわかりそうなものだが、そのよう人たちは、善意と言いつつ、結局自分のことしか考えていないんだなと呆れる。物資を送るのでも、自分がもらって処分に困るような物をなぜ送るのかと思う。無いよりましと思うのかもしれないが、その前に、自分なら果たしてこれを喜ぶかを、先ず考えるべきだろう。

それでなくても、地震でメチャクチャになったゴミが溢れているのだから、ゴミになるような物は、控えるのが当たり前だ。善意って、何かしたということで、自分を満足させることではない。受け取った人に役立ってこそ、善意に値する。微力でも、誰かの一助になりたいと思ったら、想像力を働かせることから始めたい。