照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

真っ白な世界地図が届いた母の日

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真っ白な世界地図のハガキ

母の日に、こんな素敵なハガキが届いて嬉しくなった。真っ白な世界地図、丁度目的地を決めたその日、旅を後押しするかのように届いたので、余計気分が盛り上がってくる。

仕事を辞めたら、いつだって好きなだけ旅に出られると思っていたが、いざそうなってみると、急に旅熱が冷めてしまった。これまでは多分、息抜き的要素が強かったのだと思う。この日まで頑張れば旅に出られると、日々それだけを頼りに過ごしてきた。でも、わざわざどこかへ出かけなくても、今は毎日が旅人のような気分で暮らしている。

それでも、そろそろ出かけなくてはこの心地よさに埋没してしまうと、いろいろ考え、ようやく決めたばかりであった。それにしても真っ白な地図って、二人で相当アイデアを練ったに違いないと、長男とお嫁さんに感謝の一言だ。

多分、物をポンと贈った方が楽で、お金も気も使いましたという感じが出ると思うが、私には、このような心遣いが何より嬉しい。約しい暮らしではあるが、自分のできる範囲で生活しているので、まったく誇張ではなく、物もお金もいらない。誰の世話にもならない自由気ままな暮らしには、精神の自由がある。だからこそ物に頼らず、相手は何を喜ぶだろうと考え尽くした人の思いが身に沁みる。

私は、儀礼的な物のやり取りがかなり苦手で、贈答の習慣がない。そのため、お返しということにも無頓着であった。ある時、何の気なしに差し上げた物へお返しがきたことに恐縮して、以後、物をあげることには慎重になった。そして、頂けばお返しを意識するようにもなった。物のやり取りって、結局はお互いに気を使わせるとしっかり学んだ。

ただ、思いは形にしなければ相手に伝わらないという場合もある。それでも、何とか物を介在させずに、思いや感謝を伝えることはできないものかと考えている。手紙で済ますなんて簡単過ぎると不満に思う人もいるだろうけど、頂く側になったら、私には物よりも数倍の価値がある。

とはいえ、いざ自分が伝える側になると、お礼の言葉だけでは不足な気がして、つい物に助けてもらったりもしがちだ。ケチと思われるのではないかなどと、それこそケチな考えが浮かんだりする。多分お返しの習慣って、この部分が大きいように思う。でもこれからは、わかってもらえそうな人との間では、儀礼的な贈答は無しの方向でいきたい。それでギクシャクする関係なら、終わりにすれば良いだけ。

それでも尚くださる方へは、お返しはしないと決めた。自分が本当に差し上げたいと思う物を見つけたら、決して借りを返すような気持ちからではなく、単に真心から、その時にあげればいい。但し、貰いっぱなしで心に負担を感じずにいられるには修行がいる。相手にどのように思われてもいいと、腹を括れるかどうかだ。

自分が納得できない因習は、自分で打破するしかない。嫌々従って愚痴るよりも、自分の信じる世界へ思い切って飛び出した方がいい。自分が望む所なら、どこへでも羽ばたける。白い世界地図を見ていたら、次から次へと、いろいろなことが浮かんできて、だいぶ勇ましくなってしまった。