照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

顔の劣化に驚く日々ーいつか通らざるを得ない道と分かってはいたが

かなり昔のことだが、ある女性評論家の方の本で、(「その歳にならなければ分からないことがある」って姑が言っていたが、自分がその年齢になって初めてその言葉が実感できた)というような文章が、妙に心に残っていた。
それから30数年経た今、私も、あらゆる場面でその言葉を実感している。その本では、主として身体的な能力の衰えについて語られていたのであるが、私の場合は、自分の顔の劣化に唖然としている。
人に話したところで、ほとんど気にもされないほどの小さな変化だが、自分ではよくわかる。かといって、その時々で気になる一部分だけを食い止める努力をしたところで、あまり意味がない。顔全体の問題だからだ。
かつて職場で、自分より年上の女性の顔が崩れてゆくさまを目の当たりにして驚いたことがあるが、それが今自分に起こっているというのは、結構ショックだ。まさに劣化としか、表現のしようがない状態だ。
結局、歳を取るって、こういうことの全てを含め、静かに受け入れてゆくことなのだろう。アンチエイジングと張り切ったところで、20年、30年後まで、同じ状態を維持できるはずもない。
またそれは、見た目といった相対的なことでもないので、悪あがきしたところで意味がない。かえって、劣化に拍車をかける結果になるかもしれないので、無駄な努力はしないと決めている。私などはそれで済むが、顔を商売道具にしている芸能人は大変だ。
ちょっと検索してみると、かつて美を誇っていた方もそうでない方も、大変失礼ながら、70代以上の方々は概ね、既に妖怪の世界の住人になっておられる。また、その予備群である5、60代は言うに及ばず、たとえ30代でも、劣化著しい方がどっさりで、心底びっくりした。
もちろんその一方で、劣化どころか、素敵な歳の重ねかたをされていると感心させられる方もなかにはいらっしゃる。お手本にと思っても、それまでの生き方をすっ飛ばして、形だけ真似てもうまくゆくわけがないので、これは自分で模索するよりない。
こんなしょうもないことを言ってと呆れられそうだが、こればかりは、実際その歳になるまで分かってもらえないだろうな。誰でも、いつか通らざるを得ない道なのだけれど。