照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

おまけのような「今週の村上」が可笑しいー『村上ラヂオ2』

『おおきなかぶ 、むずかしいアボガド 村上ラヂオ2』村上春樹 文・大橋歩 絵・マガジンハウス・2011年)は、美味しいお豆腐のような本だ。あっさりのつもりで口に入れると、その味わい深さに驚く。

分厚く、細かな字がびっしりの本に疲れた後で、このような文章に触れるとホッとする。ご本人は自分のエッセイが、"「・・・何のメッセージもない。ふにゃふにゃしていて、思想性がなく、紙の無駄づかいだ」"(P・32)という世間からの批判に頷いておられるふしもある。だが、まったくそんなことはない。他愛のない話題のようでいて、オヤッと立ち止まらせる。

例えば、「アンガー・マネジメント」(P・42)

"よほどの事でもなければ怒ることはなくなったが、稀に、これは正当な怒りと、いつまでも冷静に腹を立て続けることもある。

アメリカの映画監督から、ある作家の小説を原作に映画を作りたいが、資金集めに難航している。ついては、日本での出資者探しに翻訳者として協力をお願いしたいといわれた。

当時の日本はバブル絶頂期で、文化事業に力を入れていることで知られている企業の副社長が興味を示し、高級料亭を会合場所として指定してきた。当日は、上座から映画製作の何たるかを偉そうに説教し、さんざん飲み食いして帰っていった。

息を呑むような請求書だけは送られてきたが、結果については何の連絡もなく、映画の件もそのまま立ち消えになった。"(P・44~45まで要約)

そして、

"僕も当座はわけがわからず、ただ驚きあきれていたのだが、少しして、これじゃ体の良い食い逃げじゃないかと思った。そして「そうか、こんな実のない連中が文化、文化と偉そうな顔をしていたのか。日本はそんな金まみれの情けない国になっていたのか」と怒りが込み上げてきた。"(P・45)

ページの最後には、毎回おまけのように今週の村上というのがあって、この回は、
"「ワープロ」とか「ミニスカ」とか略されるのに、なぜセイタカアワダチソウはちっとも短くならないのだろう?"
だ。

ちなみにエッセイは、
"ということで、二十年ばかり変わらず腹を立て続けているんだけど、しつこいですかね?"(P・45)
で締め括られるのだが、この今週の村上でフッと気が緩む。絶妙な、本文とのバランス感覚ではないか。

また、本にサインをした後、頬にキスを求められるというスペインでのサイン会の話がでてくる「タクシーの屋根とか」(P・106)の今週の村上は、

"水洗トイレに「大小」というレバーがあるけど、あれは「強弱」じゃいけないんでしょうか?"(P・109)

本文とは何の脈絡もなく、突然思い出したかのような水流の表示への考察、可笑しくってずっと笑っていた。

時間が押しているのでキスは飛ばしてとの指示が主催者側からくるものの、"素敵な女の子たちが多くて・・・、作家として最後まで責務を果たすと主張"し、続ける。それとのバランスかなと、ちょっと思った。

深く考え過ぎて立ち止まっていると、何真面目な顔してるのと、すかさず笑い攻撃を仕掛けてくるといった感じが今週の村上だ。そこに何の意味もないのがいい。