照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

饒舌なオールドアリス

"わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

・・・・・

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように

ね"

(茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」より)

私が一番輝くはずだった時代はね、まるでこの詩のように、"とんでもないところから青空が見えたりした"んだよ。木綿のブラウスに、着物を仕立て直したモンペという質素な格好で、さてこれからどうしたものかと立っていたっけ。だいいちオシャレなんて言葉、「贅沢は敵」を掲げた国防婦人会のおばさんたちの耳に入ってごらん。どんなひどい目に遭うことか。

でも、戦争が終わったって、食べ物の心配が先で、着るものどころではなかったのさ。大事にしていた物は着物だって何だって、みんなお芋に交換しちゃったし。毎日、ほんの僅かな服をやり繰りして着るのが精一杯。

だいぶ経って、あの時代もかの国の女性は、変わらずにオシャレしていたと知ってびっくり仰天。この国との大きな違いは何ってね。ああそれにしても、敵国の兵隊が落下傘で降ってきたら竹槍で突き刺せって、こっちは必死に訓練させられていたんだよ、それなのに海の向こうでは・・・、まったく。

"だから決めた できれば長生きすることに"
そしてね、好きなだけオシャレするんだって。ようやくそれが叶ったのは、家中の鏡を隠したくなった頃さ。でもね。自分のために装うのだから、かつての隣組のような世間様なんて黙殺と決めたんだ。

ただ悲しいかな、自分がどんな服を着たいのか、とんとわからないままなんだ。だからとりあえず、目についた物から試してみるのさ。今の自分に似合うかどうかなんてのは二の次でね。あの頃の自分が着たらどうかが基準さ。人の目からは、変てこりんでも構わないんだよ。ところであんた、私のこと、魔法使いのおばあさんとでも思ったんじゃないのかい。


オールドアリスは饒舌だった。僕に、探しものを手伝って欲しいと言ったのに、それが何であるかには触れず、ただしゃべり続けていた。でも、探し物は、この話に関係あるのかもしれないと思ったので、僕はひたすら耳を傾けていた。

すると不思議なことに、"まっさおな海"を背景に、白いブラウスにたっぷりとギャザーの入った赤いスカートを身につけ、スクッと立つ若き日の(オールド)アリスが、僕の目にも浮かんだ。艶やかなカンナのようなその姿が。
 

" 根府川東海道の小駅
  赤いカンナの咲いている駅
  たっぷり栄養のある
  大きな花の向こうに
  いつもまっさおな海がひろがっていた"
(茨城のり子「根府川の海」より)

 こうして、オールドアリスとピノッキオは、忘れた頃に不意に登場する。気が向いたらまたいつか。