照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

偶然が重なる不思議ー『トゥルー・ストーリーズ』はちょっといい話的で面白い

"「事実」の不思議を扱ったエッセイが核になっている"(P・265)『トゥルー・ストーリーズ』(ポール・オースター著・柴田元幸訳・新潮社・2004年)は凄く面白い。

訳者あとがきで柴田元幸さんが端的にお書きになっているが、"金銭が(というかその欠如が)人の生き方や世界観をどう歪めてしまうかに焦点を当てた長編エッセイ「その日暮らし」"は、自伝的ということもあって、一種の冒険譚のようにも読める。

1969年末に徴兵の抽選結果が発表された後、"カードの無作為抽出によって命拾いした"著者は、石油タンカーの乗組員として数ヶ月働くことになるのだが、その時の話が好きだ。(P・108~124)

"タンカーとは要するに浮かぶ工場であり、エキゾチックな波乱万丈の日々へ誘われるどころか、自分を産業労働者として考えることを私は教えられた。自分はいまや数百万人のうちの一人なのであり、・・・私の行う仕事はすべて、アメリカ資本主義の巨大な果てしない営為の一部なのだ。"(P・115)

荷を積み下ろしするたび、製油所のドッグのまわりに浮かぶ何千という悪臭漂う魚の死体を目にして、

"風景を傷つけることすら、自然界を丸ごとひっくり返してしまうことすら金を稼ぐ者には許される。しぶしぶながらも、私はそのことに敬意を抱くようになった。私は自分に言い聞かせた。一番底まで来てみれば世界はこういうふうになっているんだ。こっちがどう考えようと、この醜さこそが真実なんだ、と。"(P・116)

このように、コロンビア大学出身者らしく小難しい事も考えるが、親しくなった船員たちとの付き合いは楽しげだ。第二コックのジェフリーと町に繰り出す場面がいい。

本人は船での経験を、自分でもよくわからないが、

"たぶん、自分のバランスを崩しつづけていたかったのだろう。あるいは、ごく単純に、自分にこういうことができるか、自分が属さない世界で持ちこたえることができるか、見てみたかったのか。"(P・123)

と振り返る。

「折々の文章」の中の「あれを読むと、以前僕の母親の身に起きたことを思い出すよ・・・」(P・218)のチャールズ・レズニコフに関するごく短い話も、とてもいい。人が人(あるいは詩や本などその作品)と接する根本的な姿勢は、いつでもこうありたいと思わせる。

レズニコフの自宅を訪問した折、自分の最初の詩集を持参した著者に、レズニコフ本人の最初の詩集のエピソード、"「読んで、クズだと思ったね」"(P・221)とエドウィン・アーリントン・ロビンソンが刺々しく言うのをたまたま聞いてしまった時のことを話してくれる。そしてレズニコフの死後、自分の詩集を慈しむように読んでくれたことを知った著者は、その違いを次のように結ぶ。

"エドウィン・アーリントン・ロビンソンがいまどこにいるにせよ、彼がそこで受けているであろう待遇は、チャールズ・レズニコフのそれの半分にも及ばないに違いない。"(P・222)

と、このような話満載で、読後感が良い。