ストーリーとは別に警句にちょっと足を止めてしまう『ロング・グッドバイ』
ちょっと分厚いなと借りるのを躊躇したが、『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー著・村上春樹訳・早川書房・2007年)は、読み始めから警句に満ちて、私には哲学的な本への入り口とも思えた。面白くて読み急ぎたいのに、アレッこの言葉と、つい立ち止まってしまう。
私にとってミステリーは、アガサ・クリスティ他数名の作家を別にすれば、国内外含めてほとんど未分野だ。もちろんこの高名な私立探偵フィリップ・マーロウも名前だけしか知らなかった。
根が臆病者なので、悲惨な事件が起きたり、命知らずの乱暴者が腕をぶん回したりと、冷酷非情な悪漢が暗躍するのはもとより、オドロオドロしい世界はとりわけ苦手であった。ミス・マープルやエルキュール・ポワロが、その素晴らしい脳細胞を駆使して静かに事件を解決してくれるくらいがちょうど良かった。
でも今回読んでみて、全くの食わず嫌いの類であったと、自分にちょっと残念な思いだ。改めて考えてみれば、私の読書は、結構どころかほとんどが未開拓の分野とわかる。時間ができてからこの方、本によっては一日一冊以上とかなりのペースで読んでいるが、それでも図書館に行けば、次々に興味を惹かれる本が飛び出してくる。時間がもっと欲しいほどだ。
このところしばらくは、村上春樹作品が多い。『雨天・炎天』ギリシャ・トルコ辺境紀行を読んだら思わず引っ張られて、もう少し別の本もと、エッセイを中心にどんどん入り込んでしまった。次いで翻訳された本へも広がり、この本と出会ったのだが、実際面白かった。
小説、翻訳以外にも、音楽に料理にアイロン掛けと、全く多才な方と感心する。でも正直に言うと、小説よりエッセイの方が圧倒的に私の好みだ。
肩の力が抜けてホワッとしたエッセイは特にだが、そうでないものも、目の向けどころ、対象の掴み方が何となく安岡章太郎にも通じているような気がする。『ノルウェイの森』を読みはじめた時も、ふと『ガラスの靴』(安岡章太郎著)の軽やかさが浮かんできたくらいだ。書いていることは全く違うが、自分の好きな作家に重なる感覚が、私を村上春樹に引き寄せるのかもしれない。
ところで『ロング・グッドバイ』には、
"〈ダンサーズ〉みたいな高級な店で派手に金を使えば、自分にちっとは箔がついたような気持ちにさせられることはたしかだ。しかしそんな箔はあっという間にはげ落ちてしまう。(P・11)
このような言葉が、ちょいちょい挟まれている。これらを少し膨らませて哲学的味付けをすれば、何とかオバサマの生き方レッスンなどという自己啓発本もできそうだ。この場合は、二通りの例が浮かぶ。ストーリーとは別に、つい余計なことにも頭がいってしまうのは、訳者の言葉の力によるところか。