照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

胃袋の中でウナギがニョロニョロ暴れだす心持って?

「晴れた空 曇った顔 リヨンという街」(『晴れた空 曇った顔』安岡章太郎著・幻戯書房・2003年)は、ずっと昔、別の本に収録されているのを読んだことがある。料理とワインというと、決まってこの場面が思い出される。

リヨンに着いたばかりの著者は、空腹感はないが、翌日ポール・ボキューズでの昼餐を控えているので、胃の調整のため夕食を摂っておいた方がいいだろうと考え、半ば義務的に出かける。

ホテルで聞いたお勧めのレストランに行ったら、客がほとんどいない。よほどまずいのかと思っていると、それを察したのか給仕頭が急いでレインコートを脱がせながら、思いきりお世辞を言う。他店をあたる気にもなれず、
"何よりも私には、この店の給仕頭の老犬がジャレつくようなお世辞を振り切って、ここを出て行くだけの勇気がなかった。"(P・110)

そして、料理について尋ねれば、どれにも、結構でございますという返事であった。ワインは一番大衆的なボージョレ・ヴィラージュにするつもりが、

"ふとこちらを覗き込んだ給仕頭の禿げ上がった頭皮に、ポツポツと汗が玉になっているのを見ると、なぜか私は、"(P・111)と、せっかくリヨンまで来たのだからとブルゴーニュの代表的優秀銘柄シャンベルタンを選んでしまう。これが料理に合わず大失敗で、
"胃袋の中でウナギがニョロニョロ暴れ出したような心持になってくるのである。"(P・113)

良い酒でも、料理との相性がある。安くて荒っぽい味のワインならこんなことにならなかったと、当初の予定を翻したことを悔やむ。料理の大半とワインを少し残し、お金を払って飛び出してきたというが、それにしても凄まじい。"胃袋の中でウナギ"ですよ。

でも、客のいないレストランで、まずいのかなと疑いつつも、妙な同情心が湧くところもよくわかる。また、給仕頭の禿げ上がった頭皮の汗を見たばかりに、つい上等なワインを頼んでしまう気持ちは、もっとよく解る。それで最後は、"ウナギがニョロニョロ"を抱え込む羽目になる。いいな安岡章太郎は、と思う。

だいたいこの方の行動には、本人いうところの"トチリの虫"に付きまとわれる。でも、テヘヘという感じで、頭をかきかき何事もなかったようににこやかだ。

大上段から構えるわけでもなく、難しい言葉を弄するわけでもなく、気づくと横にいて、ボソッと的を得た事を言うという感じだ。私は、安岡章太郎さんの物事の見方、捉え方、ユーモアの感覚が大好きだ。

ところで、料理とワインが相反する場面はこちら。
"クネルというものと一緒に飲むと、・・飛び切り軽やかな丸みのある赤葡萄酒の味が、とたんに油っこく生ぐさくなってしまう。・・ソーセージを頬張ってみたのだが、・・これはシャンベルタンが泣き出しそうな味だった。"(P・113)

ウナギニョロニョロを覚悟で、ほんのちょっと試してみますか?