照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

旅の余韻

ここ数ヶ月は、本にとり憑かれたように、僅かの時間も惜しんでページを開いていたが、旅先ではちっとも読む暇がなかった。2冊では少ないかなと思ったものの、行きの飛行機の中で多少読んだっきりであった。

眼が、文字よりは風景にとらわれてしまって、線路際に咲くヨメナ(あるいはノコンギク)や、クズの花、または澄んだ川の流れなどを飽くことなく追っていた。

稲刈りの済んだ田んぼもあれば、まだ少し早いかなという田んぼといろいろだ。稲よりも背丈を伸ばした雑草が目立つ田んぼも結構あって、刈り入れの時、米に混じる心配はないの?とよそ事ながら気になる。

栗の木もずいぶん眼につくと思っていたら、津和野は島根県で一番の栗の生産地ということだ。柴栗のちっちゃな実しか知らない私は、どれほど立派な実が収まっているのだろうと、その大きなイガイガを開けてみたい誘惑にかられる。が、勝手にそんなことをするわけには行かない。栗まつりもあるようなので、それに合わせて訪ねるのもいいかもしれない。

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谷間に赤い屋根 (津和野城跡 本丸からの眺め)

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津和野川

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津和野川

また、この地方の屋根瓦は赤茶色が主流で、馴染みのある黒はたまに混じっている程度だ。どうしてこの色なのだろうと調べてみると、石州瓦といって島根県石見地方で生産されている粘土瓦だそうだ。津和野城跡から街全体を眺めると、家々を取り囲む緑とよく調和しているのが分かる。ヨーロッパの雰囲気すら漂う。

日本国内は、どこへ行ってもそれほど変わらないと思ったら大間違いで、やはり土地にはその土地特有の趣がある。安野光雅美術館で、イギリスの村の絵の横に(ここの人々は、村が市になることを発展とは思わない)という安野さんの言葉があってハッとさせられたが、確かに、どこもかしこも大都市を模倣したような街になってしまってはつまらない。

規模の大小にとらわれず、自分たちの暮らす村を誇りに思い、美しく保つよう努めるからこそ、安野さんがおっしゃるように、(イギリスは世界で一番村が美しい国)となるのだと思う。ただ、それを今から日本でも取り入れてみましょうというわけにはいかない。

飛行機から眺めていると、日本はまさに山国だと実感する。ところどころにポツリとポツリと集落が見えるが、実際問題、日本で小さな集落(いわゆる過疎地)に住み続けるには、高齢になっても、行政に頼らず自力で生き抜く覚悟が必要だろうなと推察する。

旅にでると、最初こそ自分の住む地域とは異なる風景に浮かれ気味だが、同時に、日常からは見えにくいこの国が抱えるさまざまな問題も浮かんできて、しっかり考えなければと思う。

ところで、美しい街の姿をずっととどめておいてほしいと願うなら、街の人々の努力だけにおんぶするのではなく、外部の協力も不可欠だ。

自分としては、どのようなことができるか?一番手っ取り早いのは、その地に泊まって、その土地あるいは近隣の食に舌鼓を打ち、その土地の特産品を僅かでも購入することだ。短時間で回れる街でも、草鞋を脱いでみると、また違った顔を見せてくれるかもしれない。