照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

父逝くー心静かに庭を眺めながらこの世に幕を引く

父逝く。亡くなる時はこうありたいと、誰もが望むような最期であった。残された者それぞれの事情もよく考えてくれたかのように、もういいかなという感じで旅立った。見事というしかないほど間が良い父だった。

今年90歳の父は、15年前に妻である私の母を送り、その後、弟妹3人に義兄(母の兄)と次々に送った。そして、つい先日亡くなった103歳の義姉(母の長姉)の通夜が予定されている日の朝逝った。すべて見届けた父にあの世から母が、「もう来てもいいよ」と声をかけたとしか思えない。

長男一家と同じ敷地内にある隠居所で100歳を超えて尚一人暮らしを続けていた伯母が、唯一母の気掛かりだったと思うが、それを察して父も、伯母を気にかけてよく訪ねていた。従兄に余計なお世話的進言もしたりと、困ったこともしてくれたが、今となっては笑い話だ。

ところで父は、前夜までいつもとまったく変わりなく、家族と夕食を共にしたという。朝食は居室で摂る習慣のため兄嫁がお盆を持ってゆくと、庭を見ていたそうだ。常ならありがとうと言うのに、返事をしないので不思議に思いもう一度声をかけた途端、後ろにひっくり返った。

兄もすぐきて、呼びかけると応えはするが、様子がおかしいので救急車をお願いしたという。病院に搬送されてしばらくしてして亡くなったのだが、倒れてからほぼ2時間、長男夫婦や孫に囲まれて息を引き取った。心筋梗塞だそうだ。寝付いたり苦しんだりすることもなく、これはまさに大往生の部類に入るだろう。

と同時に、残された者にも、有難い最期だ。親の介護絡みの話はよく聞くが、あと数年もしたら、私にも現実問題となるのかと覚悟をしていたが、実にあっさりとした幕切れだ。

ちなみに私は、その朝9時40分宇部山口空港に降りたって携帯の電源を入れた後、(救急車で搬送された)という9時17分に受信した姪からのメールを見て驚いた。とりあえず出口に向かっていると、続いてのメールで、(9時47分亡くなりました)とあった。それでは慌てて帰ったところで仕方ないと、通夜・告別式の日時が決まるまで、旅は続けることした。

とはいうものの、多少は気になった。葬儀まで一週間ほど間が開くけれど、このまま旅しているのは親不孝かなと、関西に住む兄から電話があった折相談したところ、そんなことはないから続ければいいとの言葉に安心した。

父は庭を見ていたそうだが、その庭は築山(といってもミニミニ版だが)になっており、石段で一周できるようになっている。祖父の代に造った庭だ。

その築山を見ながら、父の心に去来していたのは何だったのだろう。静かに庭を眺めながら、この世に幕を引くってまるでお話のようだ。

だいたい私の身内はポックリ系が多いのだが、中でも父は最高の逝き方で、ぜひあやかりたいものだ。そして、さすが孤独遺伝子(推定)の持ち主はどこまでもあっぱれと唸るのみ。合掌。