美味しそうなカリンの実だけれど
カリン
沢山の実をつけたカリンの木
カリンがすっかり色づいている。遊歩道にあるこの木は、毎年たくさんの実をつける。果実には、当たり年と裏年があると聞くが、実のつき具合は、例年変わらない気がする。
香りも良く、いかにも美味しそうな色と形だが、固くて渋みがあるため、そのままでは食べられない。だが、蜂蜜漬けにしたカリンのエキスを飲むと、風邪による喉の痛みや咳を抑える効果があるという。
人は、長い年月、さまざまに工夫して、どのような物でも利用できないかと試行錯誤してきたのだろう。カリンを見た時にも、これがそのまま食べられたなら、どんなにか食卓が潤っただろうにと、昔々の人々は考えたかもしれない。
そんなことを考えていたら、辻征夫の、『春の問題』というユーモラスな詩の一節が浮んできた。
"・・・・・
原始時代には ひとは
これが春だなんて知らずに
(ただ要するにいまなのだと思って)
そこらにやたらに咲く春の花を
ぼんやり 原始的な眼つきで
眺めていたりしたのだろうか
微風にひらひら舞い落ちるちいさな花
あるいはドサッと頭上に落下する巨大な花
ああこの花々が主食だったらくらしはどんなにらくだろう
・・・・・"
(『詩のこころを読む』茨木のり子・岩波ジュニア新書P・23)
食料としては、花よりももっと現実味のある果実を手にして喜んだのもつかの間、昔の人たちはさぞ落胆したことだろう。いい香りだけ嗅いでいても、お腹は満たされない。
カリンにはカリンの事情があって、容易く食べられないようになっているのだろうが、人からすればやはり残念だ。立派な実を眺めながら、そんなことを思っていた。