照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

曼荼羅のごとく並べられた干し柿って?

土曜朝のラジオで、フードジャーナリストのヤマケンさんが、佐渡干し柿を紹介していた。吊るし柿がすだれ状に並ぶ幾つかの光景を、私も記憶から引っ張り出して聞いていた。すると、屋外ではなく室内で干すのを目にした時の様子を、まるで曼荼羅の如くと形容されていた。いったいどんな感じなのか、私には見当もつかないが、ぜひ見てみたいと俄然興味が湧く。

この方のブログで以前、田野町(宮崎市)の大根やぐらの写真を見たことがあるが、それもなかなか魅力的であった。柿や大根を干すのは、いずれも地元の人にしてみれば、なんという事もないありふれた日常の光景かもしれないが、初めて目にする者には、思いのほか美しく感じられたりもする。

今では目にすることも稀になった稲の天日干しも、思えばずいぶん美しい光景だ。ちなみに私の出身地では、おだがけと言ったが、地域によってその呼び名は異なるようだ。昨年津和野を訪れた折、電車の窓外に昔ながらの懐かしい風景を見つけ、まだこうして手間を惜しまず干す人もいるのだと感慨深かった。

ところで、佐渡干し柿を試食したアナウンサーの方が、半生状態でとっても美味しいとおっしゃっていた。ヤマケンさんいわく、佐渡干し柿を見かけたら、ぜひ買って試してみてくださいとのことだが、どんな食感か、すぐにでも探しに行きたくなる。

干し柿は、一袋の値段にややためらってしまうが、手間を考えれば当然かなと思う。それに、一個あたりで考えれば、カフェのコーヒー一杯分ほどだ。時には、カフェに腰を下ろす代わりに、公園のベンチで、自分も陽を浴びながら干し柿を食すのもいいかもしれない。

そういえばヤマケンさんは、食べるだけでなく、その光景を見に、ぜひ現地へも出かけてくださいと勧めていた。干し柿のすだれを眺めながら干し柿を食すのは、更に味わい深い気がしてきた。これは、干し柿に限らず、大根やぐらをはじめ何にでも言えることだ。作られる過程を知ると、食物への愛着も増すように思える。