照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

幾つになってもオシャレがしたい〜でもある世代以上には着たい服がない現実に

本屋さんでパラパラと本を捲っていたら、"おばあちゃん大国'という文字が目に飛び込んできた。65歳以上の高齢女性の割合にびっくりしたが、確かに、街中にはおばあちゃんたちが溢れている感がある。しかもあと少しすると女性の2人に1人が50歳以上になるというから、おばあちゃん大国はますます拡大してゆくばかりだ。


もちろん、今や日本は人口の4人に1人が高齢者というだけあって、おじいちゃんたちもいっぱいだ。こちらも10年以内には、65歳以上が3人に1人になるという。日本が超高齢社会になるとはだいぶ前から言われていたが、分かっていたこととはいえ、いざそれがはっきりと見えるようになると、やはり結構なインパクトがある。

 

自分だけはその一員ではない気になっていたが、私だって紛れもなくその1人だ。それを強烈に突きつけてくるのが、自分に合う服が無いという現実だ。いつの時代もファッションは、若い人ばかりをターゲットにしてきた。ある世代以上は、着ることに関心がないと思われているのかと考えさせられるようなデザインと色ばかりで、これではちょっとな~と手が出ない。

 

それでも、自分にも辛うじて着られそうな物はないかと専門店やらデパートなどを回ってみるが、これは良いなと思うと、付いている値札に怯んでしまって、買う決心がつきかねたりして、なかなか難しい。コートのように出番が多い物ならともかく、この価格で何回着る機会があるのかと、頭の中で電卓を叩いてしまう。

 

実際、一回の着用が、相当割高になる服は今の私に必要ない。買う余裕があるとか無いとか以前の問題で、はっきり言うと、私の中では無駄に分類される。どうにかしてお金を減らしたいほどの身分ならともかく、(ただの一度もそんな御身分になったことが無いのは言うまでもないが)、逆に、極力無駄を排除するよう努めてきたので、明らかな無駄に財布は開けられない。

 

今はまだ、過去に買った服に助けてもらっていて、そこに、定番のベーシックなTシャツを買い足して、何とか乗り切っている。が、手持ちの数が少ない上に、そろそろ変え替え時が来ているというのに、気に入ったお手頃の服に出合えなくて、まったく悩ましい限りだ。井上陽水の『傘がない』の歌詞になぞらえると、"だけども問題は今日の服"といったところか。

 

正直な気持ち、自分の着たい服は自分で作ると胸を張りたいところだが、生来の不器用で洋裁は苦手ときているので、既製品に頼るしかない。父ちゃんの服だけでなく、デパートでは婦人服も売れなくなって久しいようだが、今の価格のせめて半分以下にしたら、もっと買う人が増えるのではないだろうか。

 

ファッション業界も、人口先細りの若い人に的を絞ることから方向転換して、おばあちゃん大国に群れなす高齢女性に、もっと選択肢を与えられる服を用意してくれると良いのにと願う。

 

探し物があって大きな本屋さんまで行ったついでに、デパートで服を物色しながら、いくら人数が多いとはいっても、私なんぞの世代はどこでもお呼びでないんだろうなと、肩を落とし気味であった。その上、かつて、売り場によっては、間違って入ってきちゃったのかなという感じの高齢女性を見かけたけれど、今の自分がまさにその時の女性なのかもしれないとふと気づき、その事実に更にガックリしてしまった。

 

装いは自分を表現する手段なのだから、服選びはとても大事だ。しかし、どこへ行けば、自分の気に入った服が、お手頃価格で手に入るのだろうか?それが問題だ。