照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

未知の世界への扉が開かれる〜『謎の独立国家ソマリランド』と『恋するソマリア』

(これは目から鱗がバッサバッサだわ)と、『謎の独立国家ソマリランド』(高野秀行著・集英社文庫・2017年)を読み終えた直後はただ驚嘆していたけれど、よく考えればそれ以前の問題であった。目から鱗どころか、だいたいが何も見てもいなかったのだ。ソマリアと聞けば、反射的に海賊という言葉が浮かぶくらいで、それもニュースで報じられた当座の一時的な関心であった。

 

でも、”「謎」や「未知」が三度の飯より好きな“著者は、『国マニア』(吉田一郎著)という本でソマリランドを知り、”「独自に内戦を終結後、複数政党制による民主化に移行。普通選挙により大統領選挙を行った民主主義国家である」“(P・15)という記述に、“ライオンやトラが咆哮する真ん中で、ウサギが独自の仲良し国家を作っているみたいな絵が浮かび、そのあまりの非現実さに笑ってしまった“(P・16)が、実際はどうなのか俄然興味が湧く。

 

そこからいろいろと調べ、日本にいるソマリランド人(城西国際大学のサマター教授)と何と出発の当日に10分ほど会うことができる。教授から、信頼できる人として大統領を紹介してもらうも、メールアドレスも電話番号も知らないまま現地に赴く。2009年の春のことだ。

 

と、話は、まったく雲をつかむが如く始まるのだが、そこからが本当に恐れ入ってしまう。ソマリランドばかりか、海賊国家プントランドと戦国国家南部ソマリア他、自称国家の名乗りをあげている国まで、それらの経緯と、その元となっている氏族との関連に至るまで、読む者に分かりやすく示してくれる。

 

氏族に関しては、分家から分分分分分分分家と、いったいどこまで分かれているのか、その複雑さに読者が投げ出しそうになるのを見越して、日本で言えば平氏とか源氏、あるいは藤原氏や北条氏等、馴染みのある武将に置き代えたりと、工夫して説明してくれる。そして、そのような氏族社会の事情を一切考慮することなく、一方的に、自分たちのやり方が最上と信じて介入する国際機関への疑問。

 

著者は、国際社会が、ソマリランドを独立国家もしくは「安全な場所」として認めることが、旧ソマリア圏内を含むソマリ社会全体を支援する最良の方法と説く。”戦争を起こしたり、治安が乱れている場所にせっせとカネを落とす行為は、暴力と無秩序を促進する方向にしか進まない。“(P・554)と、身体を張った取材から見えてきた解決案を出している。

 

また、可哀想な難民という同情を煽るように作り上げられたイメージと 、自分が目にした難民キャンプで暮らす人々とのギャップに戸惑う。そして、ソマリアのホテルでばったり会った日本人のフリーカメラマン瀧野恵太さんから見せてもらった写真に、

 

”一通り見ながら私は、「やっぱりな・・・」と思った。みんな、笑顔だ。“(P・394)と、著者は、ケニアの難民キャンプをはじめいくつかのキャンプを回って抱いた、“「別に悲惨ではない」”という思いを再確認するに至る。“何よりイメージと違うのは、笑顔の人が多いということだ。”

 

ソマリ人は写真を撮られるのを嫌う人が多く、まして笑顔の女性を撮るのは難しいそうだが、”難民キャンプでは話が別である。カメラを向けると、みんな嫌がる様子もなく、にこにこと微笑む。“(P・395)そうだ。


それを筆者は、
”彼らは戦乱や飢餓から必死の思いで逃れてきた。・・・やっとたどりついた「安全地帯」で、・・・私たちのようにカメラを向ける外国人は「自分たちを助けてくれる人」と無意識に認識するのだろう。だから、警戒心もなく、むしろ仲良くしたいという意思表示で微笑むのだろう。
これが現場のリアリティである。“(P・397)
と分析する。

 

それにしても、外務省情報では、警戒レベルがシリア並みという最悪の地を、護衛の兵士や通訳や案内のガイドを雇って(しかも高額)回る著者には、いくら秘境好きと言っても程があるだろうと、ただびっくりするだけだ。でもそのおかげで、実態がかなりくっきり見えてくる。


しかし、国が無くなって通貨が安定するとか、民主的になるとか、ソマリランドについて知るにつれ、いったい国家とは何なのかと考えさせられる。

 

しかも、国際的に認められていないソマリランドが平和で、国連やEU、アメリカ、アラブ、アフリカ諸国が支持する暫定政権が置かれている南部ソマリアは、常時緊張状態が続き銃声が絶え間ない。あまりにも危険なため、著者は、首都モガディショで(2009年当時)は、一人でホテルから出ることも許されない。これにもまた、再び、国家って何となる。


ただ、ハルゲイサ(ソマリランド)とモガディショ(南部ソマリア)に住む人々の気質はだいぶ異なる。モガディショは、かつて都だっただけあって、”より洗練され、社交に長け、遠慮や含蓄“を持ち合わせている。(P・440)治安の問題さえなければ、こちらにいたいくらいだと言う。


確かに、ソマリランドの住人は、せっかちで大声で怒鳴るように話すし、おまけに自己主張が強く、人の話など五分も聞いていないとなると、読んでいるだけでその手強さが伝わってクラクラしてくる。付き合うのは、さぞかし疲れるだろうなと思う。


自分に関係のないことでも、思ったことを言わずにはいられないとか、言いたいことだけ言ってスッといなくなるって、こちらも精神的にタフでなければひどく堪えるだろう。何しろ、“百メートル歩くごとに十人から声をかけられて忙しいうえ、物乞いも多い。”(p・45)


それも、“「ハロー!」「ヒーホン!(『ニイハオ』のつもり)」「ジャッキー・チェン!」「ジェット・リー!」”と呼びかけられるには、まったく煩そうだ。おまけに、写真を撮れの撮るなの、カネを払えだの、騒々しいことこの上ない。


だが、その根にあるのは、遊牧民の習性と気づく。物事を瞬時に判断して行動、あるいは主張しなければ、半砂漠で暮らしてゆくことはできない。”遊牧民は荒っぽくなければ生きていけない。速くなければ生きている資格がないーという感じなのだ。“(P・49)


農耕民族である日本人とは対極にあるソマリ人への理解が深まり、共に行動しているうちに、いつしかソマリ化している自分に気づき、ソマリへの思い入れは深くなるばかりだ。ついには言葉も学んで、その後何度もソマリを訪れる。それらは、『恋するソマリア』(集英社・2015年)に詳しい。

 

この本がまた面白く、読み終えた後、これって映画みたいと思ったほどだ。初めて訪れた時知り合った人々のその後の人生、なかでも、ホーン・ケーブルTVモガディショ支局長の剛腕姫ことハムディには、「エッ?」そういうオチと、彼女を日本に招く準備の最終段階に入っていた著者ならずともびっくりだ。

 

親戚を頼って偽のパスポートで出国した彼女は、ノルウェーで難民として認められ移住したという。大学で学んだ後は、国に帰って政治家になるという目標を立てているそうだ。頭が良く度胸があって美人のハムディは、まだ二十代という若さだ。今後、彼女がどのように活躍してゆくのかも、非常に興味深く、楽しみだ。

 

実は、『謎の独立国家ソマリランド』も次男からのお譲りだが、おかげで、未知の世界への扉を開けてもらったような感じだ。知る必要のあることや、考えねばならないことが本当に多い。