照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

考える事を人に委ねない

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ルンビニ公園の花

パリでの痛ましい事件を、私はツイッターで知った。テレビや新聞に縁がなく、ラジオでもニュースは、天気予報のついでに聞く程度だ。だがこれまで、取り立てて不自由を感じた事はない。テレビは地上デジタルテレビ放送に切り替わったのを機に止めた。新聞はかなり前からつまらないと思っていたので、転居してからは購読を止め時々買うのみだ。それも生ごみ処理に便利という理由から、ページ数の多い土曜日に購入する事が多い

何でニュースを知るのと聞かれた事があるが、重要なニュースは結構ツイッターに流れている。興味があれば、更にインターネットで検索する。会社にいる平日は、食事しながらNHKニュースを見るのでおおよその事は解る。だが社内では、殆どのニュースは流れてゆくだけで、話題になる事は滅多にない。多くの情報を得る事は、本当に必要だろうか。物と同じで、情報も少なくていいような気がする。

 先日のお昼時、パリでのテロ報道を見ながら同僚が、「池上さんが・・・」と言い出した時には、正直またかと思った。なぜかといえば、池上さん情報由来と思われる同じテーマの話を、しばしばいろいろな人から聞いた事があるからだ。特に東日本大地震の後、新幹線の技術力の高さの話には皆相当感心したようで、同僚たちから聞いた。たまたま喫茶店にいた時も、近くのテーブルの人たちが話題にしていた。聞こえてくる内容というか話し方が、同僚から聞いた時と全く同じで、これはそっくり池上さんのコピーだと思った。日本全国で、どれ程コピーが語られているのだろうとも思った。

それも重要な話だろうけれど、何か抜けている気がした。もっと大事な問題から目が逸らされている気がした。たとえ聞いていたとしても、人は印象の強い話しか覚えていないものだ。伝え方次第では、印象操作なんて簡単な気がする。私はテレビを持っていた頃でも、誰かがニュースや時事問題を解説してくれる番組は見た事がない。もし今後テレビを持ったとしても、テレビから何かを教わろうとは思わない。 

かつては私も、健康や難しい問題を扱った番組をみる度、少し賢くなったような気がして、むしろ好んでみた時期もあった。だが、知ったことを手がかりに、その事について掘り下げて考えようとまではいかなかった。多少の薀蓄が増えるだけで終わりである。次第に人の考えを鵜呑みにしたところで、しょうがないと思うようになった。

それからは、関心のある事は、自分で調べて考えるようにしている。そしてよく解らない事には、誰かの受け売りのような意見は言わない。ツイッターでもなるほどと思う意見には、その元になった文章などにも目を通すようにしている。幼稚でも、自分の頭で考えたい。どれほど経験や知識が豊富で、人間性に信頼が置ける人であっても、考える事までは委ねたくない。考えるというのは、日々の訓練だと思う。それをせず人に委ねているうちに、考える力は後退する。いざとなって困らないように、自分の頭で考え続けたい。今度の件も、自分で総合的に考えたい。

ニュースを見ながら、ふと考える力に思いが及んだ日であった。

*池上さんの解説には定評があり、メディアを通じて知る限りお人柄も良さそうだ。私はご本人を決して否定しているのではない事をお断りしておく。ただ、どれ程分析に優れた方であろうと、その考えを鵜呑みにする事なく、自分で考える手がかりに留めておく方が良いと思うので例にあげたまでだ。