照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

元気な高齢者 その3

私の祖父母、両親、叔父叔母と、三親等以内に長く寝付いたり認知症になった人は殆どいない。但し、生命の長短は長幼とは別で、現在80代後半になる長男の父は、既に弟妹を4人失くしている。母の長姉である101歳になる伯母は、弟妹全て既にいない。

母方は祖母も曽祖母も長寿であったが、100歳を超えたのは伯母だけだ。長男一家と同じ敷地にある離れで、今でも一人暮らしを続けている。昨年訪れた折も元気で、炊事や洗濯をしていた。頭もしっかりしており、私の事も良く覚えている。

伯母は50歳前後に、公務員だった夫を亡くした。遅くに授かった子供は男の子が二人で、下が中1の時であった。恩給(年金)だけでは大変で、和裁の腕を活かし、生徒をとって教室を開く傍ら仕立物も請け負った。時代の波で和裁教室に通う人がいなくなっても、腕を見込まれて仕立物の注文は後を絶たなかった。嫁入り支度には、沢山の着物を用意する時代であった。下の子が大学を卒業して仕送りが必要なくなった後も、上物を頼まれては縫っていた。

長男が結婚してからは、自分で建てた離れで一人暮らしを始めた。私がだいぶ大人になってから、自分の子や孫、自分の弟妹及びその子供たち全員に、伯母が寸志よりはるかに多い金額を分け与えた事があった。私にそのお金を渡してくれながら母が、伯母は株も運用していたと初めて教えてくれた。

祖父は3人の娘たちへ、嫁入り支度と一緒に株券も持たせたていた。いざという時困らない配慮だったのかと思う。祖父は、60代で胃がんで亡くなっている。自分がいつまでも、後ろ盾ではいられないという事を知っていたわけではないだろうが、賢い選択であった。現に伯母は、その株券を運用したおかげで子の教育資金が賄えた。いくら腕が良くても、仕立物と恩給だけでは仕送りまでは難しかっただろうと今は解る。

伯母の場合は、頼る人が亡くなったため必然的に生活を支えざるを得なかったが、賢く気力もあったのだと思う。同じ境遇でも、誰もが伯母と同じようにできるとは限らない。自立心の強い伯母だが、80代後半になってからは、年の離れた妹を頼ろうと考えていた。私の母にお金を預け、私の実家の敷地内に離れを建て越してくる計画だった。実行に移す前、母が突然亡くなった。その少し前から身体の調子が悪く、検査を受けるため入院、ガンと判明した日の事であった。彼岸にポックリ逝きたいと常々念じていた母は、その中日が命日となった。結局預かったお金は、父がそっくり銀行の利子も含めて返した。

自分よりはるか下の妹が先に逝って、伯母はだいぶ気落ちしたようだ。それから十数年経つが、今は元気を取り戻している。母屋へ来るように説得していた従兄弟も、今では好きにさせるのが元気の秘訣と納得している。私の母からも、伯母が自分で出来る間は、自由にさせておくよう常々言われていたそうだ。こうしてみると、嫁の世話にはならないという気の強さが、伯母の原動力になっているのかもしれない。

Tさんや伯母のように、私も、元気に自分の始末は自分で出来る老後を目指したい。頼るのは己だけという覚悟で、自分の頭と身体を使って生きる事が大切と二人から学んだ。不安を煽るような情報に恐れるばかりではなく、対策を講じて実行すれば、老後も楽しみだ。