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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

生きる 詩「くらし」に寄せて

これまた凄まじい詩だ。高等小学校卒業後、日本興業銀行で給仕(事務見習い)として働き始めた少女は、戦後は大黒柱として働かざるを得なくなる。一家の暮らしを背負った人の、魂の叫びが聞こえてくるようだ。
 
        くらし  石垣 りん
食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた 
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣(けもの)の涙。  
『詩のこころを読む』茨木のり子・岩波ジュニア新書・P190〜192
 
現代でも働く女性の立場に格段の進歩はないが、それでも当時の人からすれば隔世の感があるだろう。女なんかと、鼻であしらわれる時代だった事は想像に難くない。
 
”どんなにうめこうと
心を痛めるしたしい人もここにはいない
三等病室のすみのベッドで
貧しければ親族にも甘えかねた
さみしい心が解けてゆく”( P・185〜187「その夜」より抜粋)
 
ここで描写されているように、自宅でも誰かに甘えることさえできなかった一人の女性の心の叫びは、詩として結晶した。

「ふくれた腹と父のはらわた」にギョッとして、思わず『山月記』(中島敦岩波書店)にでてくる虎になった男を連想した。彼もまた詩を書いていた。だが、「食わずには生きてこれなかった」のは心だったと思い至った。実際に、父親に向かって強い言葉を投げつけたのかどうかは解らないが、”私の目にはじめてあふれる獣(けもの)の涙”と結んでいる事から察すれば、何かしらあったのかもしれない。私はこの詩に、物だけでは腹が膨れず、人の心をも貪りながら生命を繋いでゆかざるを得ない人間の哀しさを感じる。

それにしても、人が働き続ける一番大きな原動力は、食べてゆくためと改めて感じる。職を辞したら一家が、即路頭に迷う事を思えば、おいそれとは辞められない。そして、自分にのしかかるさまざまな圧力や理不尽な処遇に耐え、ひたすら詩を書くことで自分を保ち続けた。やがて詩人として認められるようになっても、仕事は辞めず定年まで勤め上げた。ここには、働く事への覚悟がある。

背骨を手術する前夜を描いた『その夜』、「病気に向かっていう/死んでもいいのよ」眠れぬ夜の苦しみなど、この先の人生に比べれば大したことないと思うほど「ああ疲れた/本当に疲れた」と詩人はようやく弱音を吐く。自分と人の生命が肩にかかった大変さが伝わってくる。

生きてゆくのは我が身一人でも大変なのに、よくがんばりましたねと、天にむかって労いの言葉を送りたくなってくる。その言葉の数々に勇気付けられている自分から、人生の先輩である詩人へありがとうの思いと一緒に。そして、少々の事ではへこたれていられないと、自分の中から力がふつふつ湧いてくるのを感じる。