照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

ボイストレーニングは奥深し

昨日は、ボイストレーニングの日であった。バスに乗ってレッスンに向かう途中、中央高速道の上に掛かった橋から、一瞬であったが雪を頂いた富士山が見えた。良く晴れた風の強い日には、外へ出る人のために、ちゃんとこのようなお楽しみも用意されていると嬉しくなる。つい先日の散歩の折、他所のお宅に咲き始めた梅を眺めていると、メジロが枝から枝へと渡っているのも見かけた。

寒い寒いと思っていても、暦の上だけではなく、季節は春に近づいているのだと実感する。風があっても陽だまりは暖かく、道行く人の、「小春日和だね」と連れに話す声に、(春だよ春だよ。小春日和は晩秋でしょう)と、心の中で反応してしまう。今は霜の下の枯れ草しか見えないけれど、あと半月もすれば、新芽が顔をのぞかせてくれるだろう。太陽が、柔らかく大地を包んでいる。

太陽の恵みは、部屋をも暖かくしてくれて、心もまた弾む。だが、この時期有り難いと感謝されている陽射しも、あと2カ月もしない内に、日傘で遮りたくなってくるから可笑しい。骨を丈夫にするには、この陽に照らされる時間が必要という。陽を浴びながら散歩して、我もまた自然の一部と感じるのは理にかなっているということか。

ボイストレーニングでは、毎回チューニングが必要な私だ。練習してきたつもりでも、なかなか上手く筋肉を使えない。横隔膜を意識していると、顔の筋肉が疎かになる。声を出すのは本当に難しい。「筋肉を正しく使わないと、喉を痛めるだけです。声帯は粘膜ですから、鍛えることはできないのです。痛めると、しばらく休ませなければならなくなります。」と言われるのだが、やはり喉で声をだそうとしてしまう。

「脳が、正しい筋肉の使い方を指示できるよう意識してみて下さい」と言われても、頑固な脳は言うことをきかない。(今更そんな難しいこと嫌だよ)とばかりに反抗する。(でもね、あなたが習いたいと思ったから、ここに来ているのでしょう)と、私も説得に努める。長年染み付いた、声を出す習慣を変えるのはまったく大変だ。正しく声を出すのは、脳との戦いでもある。ようやくちょっとコツを掴んだところで、歌ってみる。一時間のレッスンを終える頃にはグッタリだが、爽快でもある。

ボイストレーニングで、顔の筋肉を使う難しさにちょっとうつむきかげんな自分であったが、帰り道は良いお天気にさそわれて、鼻歌など口ずさみ始めている。帰りもバスの中から富士山を眺め、シュンとしたことすら飛んでいってしまった。まったく単純な私だ。休日はいいなあ~と、陽だまりに眠る猫のように、たまにはぼんやりしていようか。