照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

奄美のたんかんに田中一村を想う

奄美大島産のたんかんを頂いた。勤務先の事務所があるビルの同じフロアの会社の方が、社長の出身地から送られてきたというたんかんをお裾分けしてくださった。初めて食べたが、甘く果汁たっぷりの味は、オレンジに近い。

事務所の前を通るたび、田中一村の複製画がチラッと見えていたので気にはなっていたが、その会社の皆さんと話をすることは特になかった。昨年末、業務課から当社のカレンダーを差し上げたようだが、そのお返しかもしれないと推測している。美味しいたんかんを二度も頂いてしまい、皆で喜びながらも恐縮してしまった。私たちにすれば、カレンダーよりは、タンカンの方がずっと嬉しい。

田中一村の絵を知ったのは、だいぶ前に見たNHK日曜美術館という番組だった。初めて見る絵にも惹かれたが、その生き方にふとゴッホが重なり、一村その人にも興味が湧いた。南の島に移り住んだ連想からか、日本のゴーギャンと呼ばれることもあるようだが、私にはむしろゴッホのひたむきさが感じられた。

栃木で生まれ、千葉を経て奄美大島に住んだ一村と、ブラバントに生まれ、南の島ではないが、太陽を求めてアルルに移り住んだゴッホ。貧しさの中でただひたすら絵を描き続け、生存中にはその絵が認められなかったのも同じだ。但し一村の場合、ゴッホにおける弟テオのように、経済面で助けてくれる存在はいなかった。姉を唯一自分の理解者と心の支えにはしたが、暮らしは、染色工場で働いて立てていた。

番組内のお知らせで、千葉県立美術館で田中一村展が開催される事を知って出かけた。千葉駅から同じ方角へ向かう人が多いと感じながら到着すれば、物凄い行列で、テレビの影響力の大きさに驚いた。番組を見た人が皆、一村に興味を持って押し寄せたのかと思うほどであった。だが、それも頷ける。本当に良い展覧会であった。私は、これを見逃したら二度と機会は無いとの思いで行ったのだが、大多数の人が同様に考えたのだろう。

奄美大島の、「田中一村記念美術館」へもいつか訪れてみたい。「アダンの木」や「不喰芋と蘇鉄」などにでてくる、関東では馴染みがない植物にも興味が湧く。私は、中島敦の「環礁ーミクロネシア巡島記抄ー」(『山月記・李陵』・岩波文庫)が好きだが、一村の住んだ地を想う時、この本に出てくるある島を心の中に浮かべてしまう。時代も地域も異なるが、私の中では、いつも同じような景色が広がる。だが、実際に画家が描いた風景の中に立ったなら、何が見えてくるだろうか。楽しみだ。