照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

ある医師のブログに思う

ある医師が書いたブログを時々見ている。本業の医療はもちろんのこと、社会問題などへも、医師の立場からのずばりとした提言はなかなか興味深い。多忙な合間を縫って多くの講演をこなし、本もたくさん出されている。本の内容が読む人に伝わるのは三割くらいで、テレビ出演した際には発言がカットだらけで、テレビでは言いたい事が0.1%も伝わらないと嘆いておられた。人を啓蒙するのは実に難しいが、努力されている。
 
ある日の記事では、若い在宅医から受けた相談について書いておられた。老老、認認という、よくあるパターンの、在宅医療を受けておられる高齢のご夫婦の夫にがんが見つかったケースだ。ご本人も奥様もともに検査や治療を拒否している。遠くに住む長男・長女は、検査も治療も望み、近くに住む次男は、検査のみ希望するというので困った挙句の相談であった。
 
その先生のアドバイスは、本人の意思を尊重してそのままにした方がいいというものであった。親の意向は無視して、長男、長女の方は、医者に対して言うとおりにしないと訴えるという。多忙を理由に日頃親の面倒を見ない者ほど、本人の希望を無視する傾向があるらしいが、このケースも同様で、皆が困ってしまっている。
 
自分が子の立場なら、どうするだろうかと考えた。夫婦二人で穏やかに暮らしているのなら、そっとしておくのが一番懸命な気がする。この場合、夫が入院したら、妻の日常も変化せざるをえないだろう。夫が不在になる不安から精神のバランスが崩れたりしたら、認知症が進む事すら考えられる。お金があるからと、妻を施設に入れたりしたら、確実に認知症は進む。平和に二人で暮らしている高齢者の現状をなぜ理解しようとしないのか、むしろそれが不思議だ。
 
高齢者のがんの場合といえば、私の友人のお義父様の例もある。友人の夫の両親は、大阪で二人暮らしをしていた。一人っ子である友人の夫は、家族と共に東京で生活している。ある日、医者嫌いの80代の父親が具合が悪いと近所の医者に行った。そこで末期ガンと診断されたが、特に何もしないで様子を見ることにした。すると、別に苦しむこともなくその一週間後に亡くなられたという。

友人は、お義父様が末期ガンでも症状がでず、亡くなる直前まで普通に自宅で暮らせたことに驚いていた。私も全く同感であった。ちなみに友人のお義母様は、夫が亡くなった数年後、ガンと分かって3カ月ほどで亡くなられた。お義母様の場合、軽度の認知症もあったが、本人の意思もあって一人暮らしを続けていた。だが大分弱ってきたということで、亡くなる二カ月前に、友人夫婦の自宅近くの病院へ入院させた。お義母様もガンでありながら、ほとんど本人の希望通り自宅で暮らせたことになる。

このお二人が特別なのか、それとも高齢者ではそれが普通なのかわからないが、治療で苦しむこともなく普通の生活を送ることができずいぶん幸せだったと思う。本人の希望ならともかく、高齢になってから、検査や治療で苦しませたくはない。特に、友人の義両親について聞いて以来、その思いが強くなった。

但し、私の母は既にいない。末期ガンであったが、判明して間もなく亡くなっている。70代前半だった母は、やはりそれまで自宅で普通に暮らしていた。ポックリ逝きたいと常々願っていた母にすれば、本望であったろうと、やや早い死を受け止めている。母は、何か病気が見つかっても治療は受けないという自筆のメモを、たまたまその三カ月前に私に見せていた。だが治療の前に、希望していた御彼岸の中日に、肺硬塞で突然亡くなった。偶然とはいえそれも、母の意思としか思えない。いろいろ思うにつれ、やはり高齢者の意思を尊重するのが一番いいと改めて思う。