目を懲らさねば見えてこない 散歩の楽しみ
葉の中央にクルミ
口を開けて笑っているのかな?
目のようにも見える窓辺には鉢植
ゼラニウムの鉢植が置かれた窓辺。白と紺のコントラストが素敵で、お洒落感漂うお宅だ。電線が見えなければもっと引き立つのにと、日本ではお馴染みの光景がちょっと残念。こうして写真に収めると、どこかキャラクターの顔にも見えてきてユーモラスだ。
中央辺りのピンク色がねじ花
線路に、思いがけずもねじ花発見。初めて気づいたが、いつ頃からあったのだろうか。可憐な花の上を疾走する電車。どれほど耐えられることか、花の命がやや危ぶまれる。
散歩するたび、新たな発見がある。それにしても、見ているようで案外視界に入っていないんだなと、我が目の節穴ぶりを思う。私の目には現在よりも、過去や遠くの事象だけしか見えてないのかもしれない。今ある世界が大事でしょうと、自分にツッコミを入れる。
しかし、物事に対する向き合い方は、案外そんな程度かもしれない。渦中に居る時は気づかず、現在が過ぎ去って初めて、後出しジャンケンのように評価し始めたりする。よほど心していないと、後の祭りとほぞを噛むことにもなりかねない。