草鞋を履いた牛 「かりこうし」って?
「かりこうし」という耳慣れない言葉がラジオから流れてきた。何だか、絵本の世界の言葉のようで、可愛いさが漂う。早速調べてみると、漢字では、借耕牛であった。解ってみると何ということもなく、文字そのままだ。
かつて、牛が農作業の重要な担い手であった時代、春秋の年2回、徳島からと香川へと牛の貸し出しが行われていたそうだ。貸し手が峠まで牛を連れて行き、借り手もそこで待ち受ける。返す時は逆だ。ヒズメを傷めないよう、牛には草鞋を履かせたという。春は田植えから半夏生まで、秋は麦蒔きの頃だ。御礼は、香川の田圃で獲れた米だ。
田圃が少ない山間部の人と、個人では牛を飼う余裕のない人、双方の利が一致するこのような風習のあったことを知り、その時代を想像してみる。鈴木三重吉の、『牛をつないだ椿の木』のような場所もあったのだろうか。昭和まで続いていたというが、何とも牧歌的な風景が浮かんでくる。
そういえば牛は、平安時代にも牛車の引き手として活躍している様子が、当時の絵巻物などにも描かれている。いまや観光地などで活躍しているのは、もっぱら馬だ。だが、世界のどこかでは、まだ牛が引く車があるかもしれない。
動物が、労働力として人を助けていた時代から遠く離れ、今や人は、さまざまな分野で急速な発展を遂げた。動物の代わりに、機械やロボットが活躍するようになった。だが、ただ進歩と手放しで喜べる事ばかりだろうか。得た物も多い代わりに、失った物も多いのではないか。
今の時代から、かりこうしの頃へと逆もどりしたいとは思わないが、進歩って一体何だろう。本当に、人々の生活を、心を豊かにしているのだろうか。ふと、思っても仕方のないことが、頭を過る。
観光馬車で活躍する馬
(湯布院駅前で2014年5月)
フゥ〜と、ややお疲れモードの馬さん
キリッと、まだまだ元気な馬さん