照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

世界のニュースはツイッターから

新聞やテレビを見なくて、ニュースをどのように知るのと聞かれたことがある。私は、国内外のさまざまなニュースは、ツイッターで知ることが多い。気になったことは、さらにインターネットで調べる。

昨日は、EU圏内への難民流入問題の記事が気になった。ソマリアコソボのような、政情不安定な国から脱出しようとする人々に加え、シリアやリビアのように、ISの支配から逃れようとする人々で、その数は増え続けているそうだ。EU各国は、ギリシャ問題以上に、頭を悩ませているという。

自国に留まられては困ると、どこの国でも対策に躍起だ。例えば、マケドニアでは国家緊急事態宣言を出し、国境を封鎖している。また、ハンガリーでは、セルビアとの国境に壁を作り始めたそうだ。難民の大多数が希望するドイツでも、地元民がバリケードで阻止しようとしているところもあるという。

それについて、人道的にどうだこうだと持ち出すつもりはない。そのニュースに、だいぶ前、生活保護受給希望者を、大阪市へ送り出す近隣自治体がテレビで取り上げられたことを思い出した。自分のところでは余裕がないから、他所へ行って欲しいという根本にある意識は、難民問題と変らないような気ががする。

結局、自分に火の粉が降りかかってくれば、どこでも誰でも似たり寄ったりの行動をとるものだと感じた。財政的な問題を無視してまで、手を差し伸べよという意見の持ち主がいたとしても、そのためには税金を大幅アップする必要があると言われれば、黙って従うだろうか。きっと大反対するに違いない。

自分の懐をいためない限り、誰だって良い人でいられる。だが、私は、「遠くのできごとに  人はやさしい・・・遠くのできごとに  人はうつくしく怒る」(石川逸子・風より)と済ますわけにはいかない。それは遠い国の出来事ではなく、形こそ違え、自分の足元で起きていることと同じだからだ。

さまざまな出来事に無関心でいると、温んだ池で安穏としているうちに、動けなくなってしまったカエルのようになってしまう気がする。年代に関わらず、頭への刺激は必要だ。それには、関係ないと思わず、何でも自分に引き寄せて考えることが大事だ。

だから私は、自分の頭で考え続けたい。何にでも安易に同情して済ますのではなく、深く掘り下げて考えてみたいと思っている。日本や世界の動きを知ることは必要だ。だから今日も、世界各地に暮らす日本人のつぶやきに耳を傾けている。

以前の『風』に関する記事はこちら