カッコつけたりズッコケたりー自分と遊んでみた夜
一人でビールを飲んでいると、ふと、バカヤローと叫びたくなった。すると、自分の中の、常識人の自分が顔を出す。(どうかしたんですか。何か嫌なことでもあったんですか。)
でも、なあ~んにもない。ちょっと酔って、気が大きくなっているだけ。世界を相手に、こちらは我一人の気概で、ただ、雄叫びを上げてみたくなった。バカヤローなんて、実際、生まれてこの方、口にしたことすらない。
でも、啖呵のひとつも切りたくなる時がある。抑圧された心が、アルコールの力を借りて、ささやかな反乱を試みる。何への反乱?自分だ。ちんまりと落ち着きはらった、お澄ましした自分への反乱。
佐野洋子さんのように、時にはぶっきらぼうな物言いをしてみたいと思う。本を読みながら、違和感を覚えた言葉の幾つかが、突然浮かんでくる。だが、できない。どこまで気取った私なのだろうと、ウンザリする。私が、自分の殻を破る日はくるのだろうか。
あなたにはカラーがあると言われた時、それはファッションのことだったけれど、自分の丸ごとが認められたような気がして、結構気を良くしていた。人の評価は要らないと言う一方で、その実、本音では案外気にしていたのかもしれない。だが、威勢がよくなっている今は、そんな自分に、バカじゃなかろうかと鼻息が荒い。
だが次第に、自分だけで、スクッと大地に立っていた気になっていたけれど、そんなのは幻想だったとしょぼんとする。風に震えて、時には、掴まる何かを探したりと、弱くて脆い自分が見えてくる。
だから人間なんだ。それで良いんだよと、別の自分が囁く。すると、弱くても、強くても、自分はこのままの自分で良いんだと、勇気づけられる。
そういえば、結構無理してたな自分と、再び、反乱組の自分が、相づちを打つかのように頷く。そして、カッコつけてるのもいいけど、時には、ズッコケてみるのも、楽だよと勧めてくる。
単純で、時には複雑、それが自分という人間。まったくややこしい。自分の中の、さまざまな面と折り合いをつけながら、バランスを取ってゆくしかないと思った週末の夜。たまには、自分と、遊んでみるのもいい。