照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

キラキラ女子に憧れるよりは自分なりの美学を持った生き方を

ツイッターでセレブ生活ぶりを披露していた人と、詐欺容疑で逮捕された人が同一人物ではないかと話題になっていて、遅まきながら私も、その関連記事を読んでみた。

女性たちは皆、彼女の要素を心の中に持っている的論調にも、それに同調する男性にも、何か違和感を感じた。一言で言うと、そこにある漠として、とてつもない貧しさを感じた。

仮にそのセレブ生活が現実であったとしても、高価な物に囲まれれば囲まれるほど、逆に、空虚さが増すばかりだったのではないかと感じた。

どのようなお金で実現できた生活かは、分からないが、貧しさの空洞が更に広がり、飢えや渇きだけがより強くなる、そんなイメージが湧いてきた。

そう言えば同じような事件、以前にもあったと思い出す。それは、結婚詐欺のようにして作ったお金で、自分の生活を、セレブの如く仕立てあげていた。あの時の報道でも、自分の生活を飾り立てるほどに、貧しさの極致へと至るように見えてならなかった。

セレブ生活を夢見て何とか叶えようとするのもいいけれど、どんなものだかその一端を、自分が貯めたお金で経験するだけに留めれば良かったのにと思う。でも、多分、自分の見た夢に絡め取られてしまったのかもしれない。

但し、富のひとかけらも持たない私のこんな意見、説得力も無く、おまけに上から目線とブーイングの嵐かもしれない。でもね、良く考えて欲しい。庶民がほとんどのこの国で、どこからか莫大な遺産が転がり込んでくるとか、起業して、巨額な資産を手にするとかは、かなり低い確率だ。

絵に描いたようなセレブ生活をしている人って、日本ではかなり少ないと思う。だからこそ、憧れる人が後を絶たないのだろうが、自分の手で実現できないことは、さっさと捨てた方がいい。お金持ちを夫にできる確率だって、幻に近い。

例え、玉の輿のような縁に恵まれたとしても、そのセレブ生活が一生続く保証などどこにもない。どのような時でも、自分の身は自分で養っていける覚悟でいた方が、断然強いし、充足感もある。

高価であることだけに価値があるような、つまらぬ憧れなど捨てよう。たとえお金があったからといって、自分が上等になったわけではない。身も蓋もない言い方をすれば、大概の場合、人は、自分の財布へかしずくと心しておきたい。

自分がどのように生きてゆきたいか、日頃から、自分の美学を持って、それに沿った行動を目指したいと、しみじみ思う。