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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

ギマランイスで転んで考えた

ポルトガルの旅
ギマランイス駅へ向かう途中、広場の前で、道路を渡ろうとして転んだ。慌てる必要もないのに、車が見えたので走り出した途端、濡れたタイル敷きの道で足を滑らした。ちょうどスケート初心者が、尻もちをつくような感じで仰向けになったが、幸い頭は打たなかった。

横断歩道まで行って、車を待てば良かったと思うが、後の祭りだ。近くの人が、大丈夫かと心配そうにこちらを見るのへ、頷いて立ち上がる。打撲したお尻が痛いが、平気な顔で歩き始める。朝の塔登りが、まだ尾を引いていたのか。

足が疲れていたにしても、信号がない場所で、渡れる時に渡ろう意識が強くなっていたことが大きい。だが、その後で気づいた事だが、人が渡ろうとしたら、車は必ず待ってくれる。ここでは多分、いつでも、人が優先なのだ。

それにしても、今まで当たり前のように信号に頼り過ぎた暮らし、つまりは、何でも規則に従っていれば、自分で判断する必要のない暮らし方に思いが及んだ。と同時に、青信号で横断歩道を渡っていても、うかうかしていると事故に遭いかねない忙しい日常に、どっぷり慣らされ過ぎていることにも気づいた。

誰もが、一瞬の余裕もなく、イライラせかせかとした都会では、ちょっとしたことにも、舌打が聞こえる。時には、小競り合いから事件に発展したりもする。悪名高き東京の通勤ラッシュではあるが、自らが、ストレスを高めている面もある。

もう少しゆとりを持って行動しても、重大な損失に結びつくほどの事もないだろう。モタモタした人を待ったところで、せいぜい数分だ。そういえば、ギマランイス城の城壁を歩いている時、立ち止ってバックから物を取り出そうとした時の事だ。

思いがけず手間どったので、後から来た人に、お先へどうぞと促した。すると、「ごゆっくりどうぞ」という言葉が英語で返ってきて、その方たちは少しの間、待っていてくれた。人を急かさないよう、さりげなく気遣う態度が新鮮であった。

また、ポルトへ戻って、ホテルへの急な坂道を登って行く途中の事だ。前を歩いていたおばあさんの長い傘が、横から来た若者に引っかかりそうになった。その若者は、オットットトというように上手いこと避けて、幸いどちらも転ぶ事がなかった。ホッとしておばあさんを気遣う横顔には、何とも柔和な笑みが広がった。人はほんの一瞬に、その本心が浮かび上がる。東京なら、不注意なおばあさんに向かって、捨ぜりふが吐かれる状況でもあった。

たまたま性格の良い人だったのかもしれないが、これまで切符購入や道を尋ねたりしてお世話になった方々に加え、これで街の印象がグンと増す。更にいえば、これが、人の暮らしの原点なのだと改めて感じた。歩き方ばかりか、話し方から何から、すべてに於いて、非効率を嫌う日常を当然の如く過ごしてきた身には、本当にいろいろな事に気づかされる。

人が良いということは、土地柄が良いという事でもあるとは、私がいつも思っていることだが、このような街、ポルトへ来て良かったという思いも強くなる。これが、私を知らない街へと誘う要因、そして旅の醍醐味だ。

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サント・イルデフォンソ教会  ポルト駅横の坂上
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1両だけの市電  バターリャ広場前に停車中
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部屋の窓からかもめの集会を見学。お尻の痛みも忘れさせてくれる光景だ。