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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

自分で描いてみると絵の見方が変わる

絵画
Teruha美術大学の実技と称して毎日スケッチブックを広げていると、自分はこれまで、どれほど物を観ていなかったがよくわかる。描くってまず、徹底的に観察することから始まる。形をだいたいの感覚で掴んでいるだけでは、それを紙の上に再現するのは大変だ。

描き方の本を参考に、身の回りの物を描いたり、本の中の絵を真似たりしてみた。だが、どうにも皿やコーヒーカップがバランスよくいかない。ふと思いついて、部屋に飾ってあるセザンヌの絵(カレンダーを切り取った物)を、それぞれがどのように描かれているかじっくり観てみた。

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「テーブルの上のミルク差しと果物」(オスロ国立美術館)

技術的なことなど皆目分からない者が言うのはおこがましいが、全体の印象から、一見個々の形など無視しているようにも思えるが、むしろデッサンは正確だ。それではと、リンゴが盛られた皿を模写して形の取り方を真似てみた。面白くなって次々と真似しているうちに、セザンヌの絵が、これまでとは違って見えてきた。

私はこの絵を、ノルウェーオスロ国立美術館で実際に見ているはずだが、特に印象に残ってはいない。だが、部屋に飾って日々眺めるうちに、なぜこれらを題材として選び、このような配置にしたのかと、朧げな興味を持ちはじめた。全体の構図も、敢えてバランスを悪く不安定にしているように思える。なのに、不思議に調和している。

なぜだろうと考えていて、中央よりやや左に置かれたミルク差しとリンゴが、要のようにどっしりしていることに気づいた。このリンゴが、ちょうどやじろべえの真ん中に位置しているように安定感がある。でも、全体を引き締めるにはこれだけでは弱い。それを、ミルク差しが補っている。

これまでは、さほど深く追求しようとも思わなかったが、このように見始めると、他の静物画も気になってきた。もっともこれは私の勝手な見方で、専門に研究している方からは、無知な人間がバカなことをとお叱りを受けそうだ。でも、知識があろうと無かろうと世に問うわけではないので、見方は全く個人の自由でいい。

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「桃と梨のある静物」(プーシキン美術館)

それはさて置き、たまたま、同じミルク差しを題材にした別の絵(別の年のカレンダー)があるので、こちらもじっくり眺めてみた。最初、右奥の椅子の脚らしき物が、まるで頭を抱えている人のように見えて、とても気になった。ここにこの形を持ってきたのはなぜかとか、いろいろななぜがどんどん浮かんでくる。

ついには、これまで見た全てのセザンヌの絵を、見直してみたい思いに駆られる。とはいうものの、過去何年にも渡る美術館巡りを繰り返すわけにはいかない。せめて、画集をじっくり眺めてお浚いすることにしよう。

それにしても、描くことを始めて良かった。描くと観るとを問わず、対象への眼差し、つまり物や絵の見方が確実に変わってきた。絵の世界は、本当に興味が尽きることなく、私を夢中にさせる。これまでのところ、Teruha美術大学順調なり。