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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

花の香りの向こうからさまざまな現実がヒョイと現れる

今週の初め、ベランダで金木犀の香りに気づいた。彼岸花にばかり気を取られていたが、季節はしっかり次の花を準備してくれている。

歩いているとあちこちから香りが漂ってきて、金木犀は、庭木もしくは公園の樹木として結構な人気だと分かる。綺麗に刈り込んでいるお宅もあれば、主のいない庭では相当大きくなって、屋根に覆い被さる勢いのものもある。塀の内側から道路側へ枝を広げないからまだいいものの、場合によっては困りものの木だってある。

先日散歩していた時のこと。「頭上注意」と、貼り紙がある松に目が止まった。ちょうど曲がり角になっているお宅の玄関脇に、大きな松があって、その見事な枝を道路の上まで張り出している。枯れた枝も、いくつか認められる。推測するに、これがいつ落ちるか分からないから、貼り紙で注意を促しているようだ。

持ち主はなぜ手入れしないのかと家全体を見渡せば、空家のようだ。となると、道路を管轄する役所が、貼り紙をしたのかもしれない。それにしても、奥まったお宅ならともかく、角で坂の途中という場所を、毎日ヒヤヒヤしながら通るというのはあまり気持ちのよいものではない。

散歩していて目にする空家は、概ね庭木が生い茂って、家屋が埋もれそうになっていることが多い。もし空家を処分するとなると、これら大木になった庭木を片付けるのは経費的にも大変だろうなと、よそ事ながら心配になる。

これからは、自分が手入れができなくなった場合も、考えておく必要があるかもしれない。朽ちた枝が、下を通った人に当たって怪我でもさせたりしたら大変だ。とはいうものの、私の近所では、そんな心配要りませんとばかりに、一軒がどんどん細分化され、庭など望むべくもないというのが現状だ。

但し、空家はなぜか何年もずっとそのままで、まだ古家には程遠そうなお宅が、更地になる場合が多い。空家を放っておくよりは、売却した方がいいのではと思うのだが、そこにはこちらなどが与り知らぬ事情があるのだろう。でも、このままではもったいない気がする。固定資産税だって相応にかかるだろうし、と大きなお世話的考えも頭をかすめる。

それにしても、かつては子や孫に後を託せたが、これからの時代、自分の身の回りの品々から家まで、自分が居なくなった後の処分に関して、常々配慮しておく事が必要だなとしみじみと思う。

呑気にうらうら散歩しているうちに、花の香りの向こうから、さまざまな現実がヒョイと現れていろいろ考えさせられる。