読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

北極星を目印に旅する鳥たち

先日朝5時代のラジオで、バードカービング作家鈴木勉さんによる渡り鳥の話を聞いていたのだが、初めて耳にすることばかりで、なるほどと感心しきりであった。

日本は、寒冷地から亜熱帯までと環境が幅広いため、520種類くらいの鳥がいて、その内の30%が渡り鳥だそうだ。

渡り鳥には、目的地までの経路が遺伝子に組み込まれているのではないかという。実際、その年に生まれた鳥たちだけで渡ることもあるが、初めてにも関わらず、ちゃんと目的地にたどり着けるという。但し、雛の時期に星を見ないと、渡りの衝動が起きないそうだ。

経験ある先達無しに、初めての者いわば子世代同士で渡るとは、これにまずびっくりした。逆に、親世代だけでまとまって移動するパターンもあるそうだ。むしろ、新旧混ざり合って移動した方が、経験を積むことになって良さそうと思えるのだが、人間と違ってそんな必要ないのよと軽くいなされてしまうかな。

それから、ある種の鳥は、長距離を休まずに移動するという。寝ながら飛ぶらしいが、それでもきちんと目的地まで到達するということに驚かされる。

寝ている間にバランスを崩し、知らないうちに逸れてしまうというのはないのだろうか。それとも、交代で見張り番をしているのだろうか。もし経路を逸脱しそうになった鳥がいたら、合図するとかして起こしているのかな。

また、昼飛ぶ鳥、夜飛ぶ鳥とそれぞれいるが、夜の場合は目印となるのが北極星だという。アナウンサーの方が思わず、「ロマンチックですね」とおっしゃっていたが、鳥も星を頼って旅するなんて、確かに詩的なイメージだ。

だが、北極星を目印に定めるまでには、鳥たちにも幾多の試行錯誤があったのだろうか。そもそも、快適な環境を求めて移動するようになったのは、いつ頃からなのか。

ところで、かつて鳥インフルエンザが流行った時など、渡り鳥のせいだと槍玉に挙げられ、飛来すること自体に白目が向けられたりもした。しかし、果たしてその責めは、鳥にだけ負わせていいのだろうか。地球を人間の占有の如く考え、利益最優先で環境悪化に突き進んできた自分たち人間にも、原因の一端はなかったのか。

いつの間にやら心の中に、いくつもの???マークが並んでゆく。今の世の中、単純にロマンチックで済まないことが多すぎる。だいいち、お月様を見上げても、ウサギがお餅を撞く絵など浮かばなくなってきている。老化の一言で片づけられないうちに、せめて星空でも眺めて、柔らかな心を取り戻そうか。