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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

「せっかくだから・・・」という考えは捨てることにした

「せっかくだから・・・」、という考えは捨てることにした。せっかくだからあちこち回らなければとか、せっかくだからあれもこれも食べてみなくてはとか、もしくは、せっかくの好意を無にしてはいけないからと、自分が欲しないことでも無理に受け入れてしまうとか、時に応じていろいろな場面がある。でも、止めた。

奈良に来て4日目の金曜日は、マッサージを受けて身体が軽くなったものの、翌日の土曜日も、朝からやたら眠い。睡眠は十分のはずなのに、食事の後も瞼が下がってくる。東大寺のお水取りの時期ともあって、連続してホテルが取れなかったため、この日は別のホテルへ移動しなくてはならない。

あまり動きたくないので、チェックアウトした後カフェで一休み。宿泊予定のホテルに荷物を預けた後も、カフェのはしご、その合間に昼食を摂ったりと、チェックインの時間までを何とかやり過ごした。そのおかげで、ホテルの部屋に入った頃から、だんだん調子が良くなってきた。そして、ベッドに寝転びながら自分の行動をつらつら考えてみた。

奈良に来てから、飛ばすつもりはなかったものの、「せっかくだから意識」のスイッチが入りっぱなしで、ずいぶん身体に負担がかかっていたのがわかる。着いた日の食事からして、常に比べれば多めであった。翌日はややセーブしたものの、3日目は、残したら悪いかなと無理して胃に収めた。

せっかくだからと張り切って歩き、せっかくだからと作ってくれた人を慮りすぎて食べ過ぎる。おまけに、せっかくだからとビールまで頂いた。その結果、私の肝臓はオーバーワークで、身体の疲れを修復するところまでいかなかった。それが、二日間に渡るやたら眠い反応として現れた。つまり、無理するなという身体からの信号だったのだ。

必要のないものまで抱え込もうとする「せっかくだから意識」って、いうなれば欲だ。時間とお金をかけた分、それに見合う行動をしなければもったいない、でなければ損だというケチな考えが底にある。

好意を受ける場合だって同じだ。せっかくなのに断ったら悪いという底には、良い人に思われたいという欲が働く。それに、断る方がエネルギー消費が大きいので、受け入れる方がずっと気楽だ。頂いた物を、ありがとうという言葉の裏で、こっそり捨てることだってできる。だが、私にそれは苦手だ。それが食べ物なら、せっかくの心遣いを受け取った以上無理してでも食べてしまう。

でも実際は、もったいどころか、重さとなって身体にのしかかるだけなのだ。それに気づいたので、この際、「せっかくだから意識」は捨てることにした。そしてこれからは、自分が本当は何をしたいのか、どこに行きたいのか、何を食べたいのか、などとその都度検討して、心が望むことだけに目を向けるつもりだ。