照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

浄瑠璃寺にて


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山門へ
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浄瑠璃寺 三重塔

今年の9月、浄瑠璃寺を訪れた。大阪での用事の後、特に目的も定めず奈良に宿泊したが、浄瑠璃寺へ行く予定はなかった。宇治の平等院へ行く前に、奈良駅から近いお寺を回ってみようかと考えていた。朝食を済ませて部屋へ戻ろうとした時、フロント横のパンフレット類が置かれている棚が目に入った。そこに浄瑠璃寺行きのバスの時刻表があった。

その時、和辻哲郎著『古寺巡礼』の中の情景が浮かんだ。何度も山道を登ったり下ったり、ついには悪路に閉口して、皆が次々に車から降りて歩いて向かった寺とはどのようであったのか。山里と寺全体が調和してこそ醸しだされる雰囲気が、何とも魅力的に描かれていた。和辻が訪れたおよそ100年前と現代とでは、道路事情に雲泥の差があるだろうが、JR奈良駅から約30分という所要時間に行く事を決めた。

奈良と京都の県境にあるこの寺へ向かうバスは、のどかな風景の中を進んでいった。道路は格段に整備されてはいるが、坂道の両側に広がる畑は、作物こそ違え、かつての姿そのままのような気がした。途中でバスを降りて、歩いて向かう人もいる。やがて坂道を登り切ると、広い駐車場があってバスはここから折り返す。

案内を乞うまでもなく、お寺はすぐ近くであった。萩の小道を進むと山門になる。寺への入り口はどこもこのように風情があるが、俗世間からの邪気を振り払って、清い心でお参りする準備を整えるためであろうか。山門を潜れば、裏山を背に本堂は素朴な構えであった。参詣の人々が畏まってしまう雰囲気などはなく、やや拍子抜けするほど穏やかな山里の寺そのものであった。

池の縁を回って三重塔への坂道に差し掛かると、何ともいえぬ清々しさに包まれる。寺の名が、薬師如来の浄土である東方浄瑠璃世界に由来するというだけあって、この辺り一帯に良い気が流れているのであろう。ここで何も考えずに、ただ座っているだけで心が落ち着く。初めは、どうしてこのような不便な場所が選ばれたのだろうと思ったが、風を受けているうちに納得する。
岩船寺へ続く