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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

少し角度をずらしてみれば

病院へ同僚を見舞いに行ってきた。談話室で、窓際のカウンターに並んで腰を下ろし、しばし外を眺めていた。すぐ側には旧岩崎邸があり、遠くにはスカイツリーが見える。同僚が以前、この建物が好きだと言っていたのを思い出した。入院中にこのような場所から外を眺めていれば、少しは心も慰められるだろうと、同僚のために景色の良さが嬉しくなった。

同僚を疲れさせてはいけないと直ぐ失礼するつもりが、お互いに病気のことや会社での出来事など喋っているうちに一時間にもなってしまい、慌てて帰ることにする。

しみじみと、このように話をしたのはずいぶん久しい。同じ部署で仕事するのは既に10年を超えたが、個人的な事についてはあまり話したことはなかった。むしろ、仕事以外では、お互いに立ち入らないようにしてきた。それでも、時には相手に対しギクシャクする事もある。同僚ばかりではなく、人との関係が軋む時と、それらが溶ける時について考えながら帰宅した。

人と人との気持ちがぶつかったりするのは、タイミング悪くお互いの歯車がずれている時かなと思う。例えば会社で、同僚として一緒に仕事をしていると、相手の良い面よりはむしろ自分と合わない面ばかりに気が向いてしまいがちだ。それは、仕事の進め方が自分と違うことであったり、余計な一言であったり、ちっぽけな縄張り意識であったりする。そのような、日々の些細な積み重ねが歯車を少しずつずらしてゆく。

ところが事情によりどちらか一方が職場を離れると、その人の受け持っていた仕事の大変さへもようやく思いが至る。その途端、相手の言動のひとつひとつに理解が及ぶ。それによって相手に対する自分の意識が変わると、相手にもまた変化が起こる。自分に向いていた邪気のようなものが消える。それはまた、自分の邪心が起こさせていたものであったと解る。ふと、同僚も同様のことを思っているように感じた。

長いことチリのように積もって、自分を悩ませていた正体がようやくわかった思いだ。歯車の位置を日々修正する必要があったにも関わらず、ふつふつと湧く不満にばかり気がいっていた。埃を払って角度を変えれば、異なる面が見えてくることに遅まきながら気付いた。人間関係も給与の内と悟ったような気でいたが、ずいぶんと愚かであった。

同僚は、手術後の回復も予想以上に順調で一安心である。本人の前向きな笑顔が、良い方へ作用しているのかもしれない。職場復帰はだいぶ先になるだろうが、無理をせず治すことに専念してほしいと祈る。そして、仕事でも個人的にもいい関係を築いていきたいと改めて思う。