照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

誰にも息抜きは必要

子育て中の母親が、子どもをベビーシッターに預けて遊びにでることへの批判が、20代から出ていることを嘆く記事を見た。これは育児についてだけではなく、家庭内に手のかかる家族を抱えている場合、例えば介護にも通じる問題だ。同様の批判に晒されるのを恐れて、息抜きもできずに、疲れ果てノイローゼになる人も多いだろう。

育児で手がかかる期間は、振り返ってみればすぐのようだが、一日中ほとんど子どもとだけ過ごす母親にしてみれば、ずいぶん長く感じる。子どもは、確かに可愛い。だが、手がかかるのも事実だ。多分そのような現実を知らない人が、子育てを頭でイメージしての発言かなと思う。夫は外で、妻は内での分業のような意識が根強く残っている結果だとも思う。

子育て中であろうと、他の場合であろうと、人には息抜きが必要だ。精神的に追い詰められた挙句、時々、家庭内での痛ましい事件に発展してしまったりするが、そうなる前に、心のゆとりを持ってほしいと願う。子育てに関していえば、リフレッシュした母親の幸せ感は、子どもを心地よくする。

外野からのゴチャゴチャとした意見など無視すればいいだけなのだが、それが出来ないのは、自分の中にもまた、子育てへの固定観念が抜き難くあるからだ。自分のためにも子どものためにも、どうすることが最良かを考えて、過去の経験談などに囚われず意識改革をしてゆけばいい。子育てが忍従になってしまっては、ますます少子化が進むだけだと思う。

ところで、子どもは社会の宝だの、子育ては社会全体でだのといったお題目はよく聞くが、実際に手を差し伸べる制度は、どれくらい整っているのだろうか。理由も制限なしで、ややこしい手続きもなしの、経済的負担も少なく気軽に利用できるものがあればいいと思う。

また、保育園近隣住民から上がる子どもの声が騒音という意見や、車内でのベビーカーに対する冷たさに、将来自分の生活を支える人は必要だが、育つ間は迷惑という身勝手さに疑問を覚える。自分たちの都合次第で、ある時は昔のやり方を押しつけ、または昔とは違うと言ってみたりする老齢世代のわがままな意見など、鵜呑みにすることはないと強く思う。だが、政治家にとっては、大事な一票なのだろう。そんなところで、物事が決まってほしくはない。

それにしても、お互いさまの意識がなく、皆が自己主張するだけの社会は息苦しい。せめて自分が、そのような身勝手な人間にならないよう努めたい。