照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

食べること楽しんでますか?ー偏食を悔やむ

子供の頃の私は、大変な偏食であった。殊に臭いに敏感で、場合によっては、家族と食卓を囲むことさえできなかった。そのため、当時の私の食事は、粗食の極みのようなものであった。

今でこそたいていの物は食べられるようになったが、どうしても手をつけられない物もある。友人との食事や、職場での会食では、好まない物には、手を出さないで済んできた。食べないからといって、別段気にする人もいなかった。

だがある時、初めて会う人を含め、知り合い数人と食事したことがあった。お酒を飲みながら話も弾み、私はいつものように、テーブルに並んだ中から、食べたい物だけをひっそりとつまんでいた。

続いて運ばれてきた一皿に、皆が嬉しそうに手を伸ばした時、私はついうっかりその料理の名を尋ねてしまった。常なら、様子を見ていて、大丈夫そうだと判断した時のみ味見程度に頂く。だがその時は、聞いた途端、私パスと言ってしまった。
 
ほんの僅かであったが、ちょっと気まずい空気が流れた。それは、その店を選んでくれた人おすすめの一品だった。まして、初めてお会いした方だ。同じテーブルを囲むという意義を、私は軽く見すぎていたと悔やんだ。だが、気遣いのかけらもない私の言葉は、もう戻せない。
 
それからほぼ1年、私の脳裏には、あの時のことがしばしば蘇る。あれ以来、人と食事をする時は、不用意な言葉を発しないよう充分気をつけている。

食事を共にすることの効果は大きい。世界中を旅している人が、見知らぬ土地で歓待された時、出された物は何でも頂くと語っていたのを、以前テレビで見たことがある。食習慣が全く異なる部族の人たちと、同じ物を食べるというのは、相手と自分を一気に近づける。相手が用意してくれた心づくしの、まさにご馳走を頂くには、こちらもそれ相応の心遣いが必要だ。人と食事する原点はそこにあるように思う。

あの日から、人と食卓を囲む時は、場所に関わらず、そのことを肝に銘じておくようにしている。それにしても、好き嫌いはないほうがいい。人生の楽しみが少し減ってしまう。

また、食べ物を知るということは、その土地やそこに暮らす人々をも知ることである。食わず嫌いよりは、何でも経験するほうが、旅の楽しさも広がる。次の旅では、どんな味に出会えるだろうか。