照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

長谷川等伯の障壁画ー京都・智積院

休みの日、京都の智積院へ行ってきた。真言宗智山派の総本山であるこのお寺については、熱心な真言宗の信徒である母からたびたび聞いていたものの、その頃は、正直まったく関心がなかった。しかし母が亡くなってから、長谷川等伯の障壁画への興味も手伝って、いつかは訪ねてみたいと思うようになった。

11時前に京都駅へ着き、コインロッカーに荷物を預けるとすぐ市営バス乗り場へ向かった。私が乗りたい路線はどちらも長蛇の列で、案内板を見ればそれも頷ける。三十三間堂から祇園清水寺へ向かうバスで、私は東山七条で降りる。

智積院は、駅前の賑わいからすれば訪れる人も少なく、障壁画も、庭園も、ずいぶんゆったりとした心持ちで拝観することができた。

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チケット  左・楓図  右・桜図

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 左上 ・楓図  下・桜図  中央・庭園

写真撮影は禁止なので、これはチケット及びパンフレットに印刷された楓図(長谷川等伯作)と桜図(等伯の息子久蔵作)だ。ビールのコマーシャルに使われていた頃、JRのターミナル駅で大きなポスターを目にするたび、実物を見たいと思っていた。

確かに、狩野派には収まりきれない画風だ。優美さよりは、ダイナミックでやや武骨な雄々しさが伝わってくる。生まれが、能登・七尾ということなども、関係しているのだろうか。狩野永徳からその才を疎まれ、仕事の機会を邪魔されたという話も興味深い。

朝の勤行に参加が必須だが、ここには智積院会館という宿坊もある。母が生きているうちに一緒に来ていればという思いが、ちらと頭を掠める。前回、神仏に興味がないと書いたばかりだが、今回は、お参りも目的である。手を合わせていると、母が唱える般若心経が聞こえるようだ。

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