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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

節約精神の行きつく先は?ーこんなお土産いらないかな

『ジーノの家ーイタリア10景』(内田洋子著・文春文庫)を読んで以来、この方が描く人物像に引き込まれ続けている。図書館でふと目についた『皿の中にイタリア』(講談社・2014年)も、期待を裏切らない本であった。

特に、「されど、水」のドイツ人一家には笑った。イタリア・リグリアに住む、自称芸術家であるトーマス一家の、"「節約は,人生の真髄である」"(P・99)を信条とした質実剛健ぶりは徹底している。

著者がトーマス一家に誘われて、サルデーニャ島で夏の休暇を過ごす時にも、その節約ぶりは発揮された。船内にも食料持参で、サラミもチーズもトマトも、印を付けてきっちり人数分だけ切る。フェリーは混雑を避けての6月ながら、時間がかかる最安値のチケットを選び、島内では熱い車中でも、クーラーは身体に毒と、水を凍らせたペットボトルを足元に置き窓は閉めきったまま走行する。だが、全然涼しくはならなかった。

ところが森の奥で、ラベルに〈聖アンナの水〉と書かれたペットボトルを見つけると、娘と同じ名前がよほど嬉しかったのか大量に買いこみ、二週間の休暇が終わるまで毎日飲んでいた。

9月に入ると、娘の誕生パーティーへのお誘いがあってミラノから出かけた。会場となったトーマス家の前の空き地には、小学生やその兄弟姉妹、付き添いの親たちが集まっていた。この村には広場という付き合いの場がないため、村祭りなどもない。そのため、村人たちにとっても、このパーティーは一大行事であった。

村には、ちょっとした小物を持ってきてくれた人たちに返礼を配る習慣があって、村人たちは皆、ドイツ人一家は何を配るのだろうと、楽しみにしていた。

トーマスが得意気に持ってきたのは、〈聖アンナ〉のラベルがついたペットボトルであった。但しそれは、

"リグリアの、この村の、トーマスの家の台所の蛇口を捻って満杯にした、再利用のペットボトルだったのである。"(P・111)

村人たちのガッカリ度が、目に見えるようだ。どうしてこの章が面白く感じられたかというと、ちょうど先日読んだばかりの、『愚か者、中国をゆく』に出てきたドイツ人のエピソードが頭にあったからだ。

たとえ僅かな金額であろうと、何とか自分たちだけ安くあげたいとゴネるドイツ人たちに辟易する場面が、妙に心に残った。それは30年ほど前の話であるが、その精神は、もしかすると国民性として、脈々と今に続いているのかなとふと思った。

しかし、たったこれだけで全てを判断するわけにはいかない。だが、今後ドイツ関連の本など読む時は、そのあたりもじっくり考察してみたいと思う。

ところで、自分が日頃使用している水道水が入ったペットボトル、誰かからお土産に貰ったとしたらどうしよう。霊験あらたかなラベルさえ貼ってあれば、たとえ水道水であろうと、またひと味違うかな。でも、やっぱりいらないなこのお土産は。