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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

父はユズリハの如く

通夜も済んで、今日は父の告別式。起き抜けに今朝は、お父さんこれまでありがとうと手を合わせる。

7月に、私の長男に長男が生まれたことを報告に行った時、これで曽孫が5人ととても喜んでくれた。女の子が1人に男の子が4人と、何度も何度も指折り数えては嬉しそうに繰り返していた。

赤ちゃんの写真に見入る父に、この父の笑顔を長男に伝えたいと写真を撮った。顔中から笑みがこぼれ、幸福感に包まれたいい顔をしている。すると姪が、父と私を一緒に写してくれた。これまで思いつきもしなかったことだが、今となればまったくタイムリーであった。

父は相当嬉しかったのかいつもより饒舌で、近くに住む曽孫(姪の子供)が、「おじいさんこんにちは」と、部屋まであいさつにくる話に続き、いろいろな話をしてくれた。

ふと思いついて、少々遠い祖母の実家へはどのようにして行ったのかと聞いてみた。交通の便もない頃だ。すると、道順から丁寧に説明してくれた。聞きながら、風呂敷包みを背中に背負って、母親と歩く幼い父の姿が見えるようであった。しかしその一方では、父にもそんな可愛らしい時代があったということが、なんとも不思議な気がした。

旧制中学に通っていた頃の富士登山で、教師に腹を立て、そのまま1人で帰ってきてしまったほど気性が激しかったという。当然現地では大騒ぎになってたそうだ。また、叔母から聞くところによると、学校から父が帰る時間になって、馬のひずめの音が聞こえると家中ピリピリしたそうだ。(*学校まで距離があったため、父は馬で登校していた)

実際私も、父に手をあげられたことはおろか叱られたことさえないが、厳しく怖いイメージがあって、親しく話した記憶はない。大事な要件は、父私共に母経由であった。小学生4年生の時たった一度だけ、雑誌の付録のゲームで遊んでくれたことがあったがそれはかなり珍しいことで、今でもよく覚えている。父と話すようになったのは、母が亡くなってからだ。

私の長男の子の写真を見てはしゃいだのは意外であったが、これで自分の3人の子たちそれぞれの家に孫が生まれてもう一安心と思ったのだろうか。まことユズリハの如く、父は旅立っていった。合掌。