照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

ガランとした部屋で改めて自分に必要な物ひいては自分の生き方に思いを致す

第一陣の粗大ゴミを出し、ほとんどの荷物をクローゼットに収めると、部屋がガランとなった。まだ2週間弱ここで過ごすのに、少々気が早すぎたかなとも思ったが、自分にとって必要な物、ひいては自分の生き方について改めて考えるいい機会でもある。

そして、初めて一人暮らしした18歳の頃から、これまで住んだ数々の部屋のあれこれを思い返してみた。荷物は、衣類を入れる(多分)塩化ビニール製簡易ロッカーと整理タンスに布団、食器類を入れるガラス戸付きの小さな棚に本箱、コタツに扇風機くらいであった。最初の下宿を出る時、大家さんから譲ってもらった小型冷蔵庫が加わった。

こうして書き出してみると、結構荷物あるんじゃないと思えるが、引っ越しはごく簡単に済む程度の量だ。それが、独りが二人になり、更に三人、四人と家族が増えるに従い、部屋も変わり、箪笥に書棚に食器棚と、家具類もそれぞれが大型になっていった。容れ物に合わせるかのように、衣類も本も食器などの生活用品もどんどん増え、更にスペースを必要とした。

ここへ引っ越す前に住んでいた戸建には、収納スペースもかなりあった。それでも、各自が持ち物を増やすものだから、足らないくらいであった。住んでいた当時は思いもよらなかったが、今になって振り返ると、小さな一軒家に、なんと荷物がぎっしり詰まっていたのだろうとびっくりする。そして、天袋や見えない場所にある物のほとんどが思い出に類する品々、いわば不用品だ。

ここへは、狭い収納スペースに見合った物だけを厳選して持ってきた。アルバムをはじめ、思い出の類は全て処分した。よく、アルバムだけは捨てられないという人もいるが、私には、自分があの世に旅立ったら、残された者が処分するのに困る筆頭という思いがあるので躊躇はなかった。

赤帽さんの軽トラックで、荷台もスカスカ状態で越して来てから15年、次第に増えた荷物を再び大処分して思うのは、もう物は持ちたくないということだ。リフォームが済んでまたここに住むようになったら、相当な不自由を感じるまでしばらくは、たとえ一個のカラーボックスでも買わないでおこうかと考えている。

いちいちクローゼットから取り出すのが面倒になったら、その時買うことにしよう。収納スペースがあればあるほど、または、ちょっと置く場所があればあるほど、物はアメーバの如く増殖してゆく。それと、今クローゼットに入れている物でも、ある期間入れっぱなしにしたら、再度処分ということにする。

物がない部屋にいると、これまで自分が拠って立っていた物がなくなったような、いわば丸裸になったような感覚もあるが、むしろ、衣服や身の回り品、または書籍類といった鎧に、他者から私への判断を委ねないで、私という個で勝負だという思いも湧く。まあ、それほど大した私でもないのに、なに気負っているんだとの声が聞こえそうではあるが。