ブログを始めて良かった事 その2
ドナッテロ作
これまでは、あまり深く考えずに、報道されるままの通り一遍の見方を、そのまま聞いてはスルーしていた。しかしブログを始めてからは、少しでも自分のアンテナに引っかかる事象は、一旦自分の頭の中に取り込んで考えるようになった。
なぜなのか、報道の背景を、自分の経験とも照らし合わせながら考え、書くようにしている。浅く幼稚な意見で恥ずかしいと思う一方で、そのような考えがあってもいいだろうと開きなおってもいる。
世の中は、一握りの優秀な人物によって成り立っているのではない。また、そのような人びとが一方的に考える正しさが、本当に正しいかどうかは疑問だ。難しいことは解らないからと、考えることを人に委ね、盲目的に従いていって、取り返しのつかないところで気がついたのでは、文字通り後の祭りになる。
例え舌足らずな意見でも、目に留めて下さった方が、自分ならこう考えると、立ち止まって、更に意見を発展させてくれたら嬉しい。水の中に投じた一石から、さざ波が僅かにでも広がって、誰かの心に引っかかれば、独り善がりの幼稚な意見でも、いくばくかの役に立つということになる。
また、人に伝えるためには、解ってもらえるよう文の構成なども考えなければならない。つまり書くということは、常に自分の考えを表明する訓練をしていることに他ならない。
日頃から人と話す機会が少ないと、驚くほど話し方が下手になる。人に分かり易く説明できないと、自分はもちろん相手ももどかしさを感じる。だが、常に自分の頭で考えることを習慣にしていると、会話がぐんと深まって、お互いに充足感を得られる。
また、皆がそれぞれ自分の言いたいことばかりを取りとめもなく話続ける、いわゆるおばさん喋りというのもある。そこでは、話題もあちこちへ飛ぶが、そもそも誰も聞いていないので何の支障もない。これはこれで、おしゃべり大会が終われば、皆すっきり満足する。
だが、おばさん喋りを好まない人には、その時間は恐ろしく退屈だ。行動の報告を逐一されてもつまらない。経験したことを自分がどう感じたか、どのような考えが浮かんだか聞くのは興味深い。そして相互に話しているうちに、自分のおぼろげな考えも、くっきり輪郭を持ってくる。私にとって、人と会話する楽しみはこれに尽きる。
そのような会話ができるかどうかも、日頃から考える訓練をしているかどうかにかかっている。また、職場で何かあった場合も、常に自分なりの意見を持っていれば、言い足りなかったと後で悔やむことが少ない。
ともかく、ブログを始めてから、以前に比べ格段に考えるくせがついたことは、最大の収穫だ。実際に人と会わなくても、アウトプットつまり書くことで、会話しているのと同等の充足感が得られる。
今、日々の暮らしで、心寂しさやつまらなさを感じている方へは、ブログで発信することをとりわけお勧めしたい。書くことは何でもいい。ネタが尽きたら一行づつでも構わない。毎日書き続けていると見えてくるものがある。さあ、初めの一歩を踏みだそう!