照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

自分のイメージを大切にしたいなら

人は、自分の都合の良いように、人の話を受け取りがちだ。もしくは、自分の思う方向へ、その話を変えてしまったりする。もうだいぶ前になるが、他愛のない話をしていた時にそう感じて以来、些細なことでも、話の内容と共に、伝え方にも気をつけるようになった。
 
ある日のラジオで、人参の皮の部分をよく干し、お茶にして飲むと目に良いということを知った。それほどの優れものならばと、それからは、皮も捨てずに細かく刻んでカレーやシチュー、もしくは炒め物などに使うようにしている。
 
実際、人参に限らず果物や野菜には、実と皮の間に栄養があることは、よく知られている。但し、皮付きのまま料理に使うのは、食感が悪くなってしまうので、私は好まない。必ず、皮は剥いて、皮だけを細かくして使う。
 
会社でのランチタイムに、何げにそのことを話した。私としては、人参の皮の効用を紹介したつもりであった。だが後日、私は、人参の皮は剥かずに使うと話されてしまった。
 
えっと思った私は、再度説明したが、趣旨が違って伝わっていることに、少し驚いてしまった。なぜ慌てて訂正したかというと、その場では、人のケチぶりが話題になっていて、私が皮まで使うということをも、その例にされそうになったからだ。おまけに、その話し方には、雑な人的ニュアンスも、含まれているように感じられた。
 
クリスマス・キャロル』のスクルージを例に出すまでもなく、世の中でケチのイメージは良くない。そのため人は概して、自分がケチと思われるのは嫌う。私だってそう思われるのはごめんだ。
 
まして、ドケチの権化にでも祭り上げられたりしたら、そのイメージが、いつまもついて回りかねない。相手が意図的か無意識かに関わらず、そのようなイメージを振り撒かれないように、こちらも自己防衛するしかない。
 
人が、自分をどう思おうと、相手の心までには踏み込めない。それに一度ついたイメージは、なかなか覆らない。それはまさに、自分の日頃の物言いや、態度から推測される。結局、自分のイメージを大切にしたいと思うなら、些細なことでも、気をつけるしかない。