照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

笑いの種を探して〜ユーモアは自分の心を潤し人との潤滑油にもなる

言葉の言い間違い、聞き間違いは、心に余裕がある時には楽しい。しかし場合によっては、一悶着となりかねない。だがどんな時でも、笑う能力だけは、いつまでも保ちたいものと願う。他に能力が無くとも、これさえあれば鬼に金棒だ。人生がぐんと豊かになる。

笑う能力      茨木のり子

「先生  お元気ですか
我が家の姉もそろそろ色づいてまいりました」
他家の姉が色づいたとて知ったことか
手紙を受けとった教授は
柿の書き間違いと気づくまで何秒くらいかかったか

・・・省略

着飾った夫人たちの集うレストランの一角
ウェーターがうやうやしくデザートの説明
「洋梨のババロアでございます」
「なに   洋梨のババア?」

・・・省略

言葉の脱臼  骨折  捻挫のさま
いとをかしくて
深夜  ひとり声をたてて笑えば
われながら鬼気迫るものあり
ひやりとするのだが   そんな時
もう一人の私が耳もとで囁く
「よろしい
お前にはまだ笑う能力が残っている
乏しい能力のひとつとして
いまわのきわまで保つように」
はィ   出来ますれば

・・・省略

(『倚りかからず』茨木のり子筑摩書房・P・66~71)

茨木のり子の詩に片頬上げてみたり、綾小路きみまろの漫談に、うんうんと頷いてみたり、いつでも自分を笑い飛ばす余裕があるくらいがいい。

 
以前同僚と本社の人の話をしていて、「はつらつとした人」を、「かつら着けた人」と聞き間違った事があった。「まだ、かつらは着けてないと思うよ」と答え、キョトンとされた。たまたま側で聞いていた人の「先入観入りすぎだな」というボソッとした一言で、気付いた同僚は爆笑した。
 
この例などは、御髪問題に神経を尖らせている人の周りでは、十分注意を払う必要がある。単なるミスで、悪気はまったく無いのだが、聞きようによっては気分を害されてしまいかねない。
 
あら探しは自分をもつまらなくするけれど、物事を面白く捉えれば、二度、三度と楽しめる。電車の中で突然思い出して、笑いが止まらなくなるという弊害には注意が必要だ。それでも私は、「楽しい事見つけ隊」の一員として、いつでも笑いの種を探している。