照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

お盆に母を想う

東京ではお盆を迎えている。私の実家でも、お盆は新で行われる。十数年前、母が亡くなった年のお施餓鬼も、今頃で、暑い日であった。母と違って、宗教には何の関心もなかった私が、休みを取って初めて出向いた仏事であった。

母の実家は神道であったが、結婚してからは、嫁した先の宗教である真言宗の熱心な信徒となった。菩提寺はもとより、成田山へも毎月写経を納めに行っていた。総本山である京都の智積院へも、何度か行っている。ここには、長谷川等伯の襖絵もある。母とは違う目的ながら、私も1度は行ってみたいと思っているがまだ果たせていない。

母は、朝起きて身支度すると先ず、「般若波羅蜜多・・・」と、仏壇の前でお経を唱えていた。その声の調子は、今尚耳に残っているが、全く関心のない私は、門前の小僧にはなれなかった。

信心深い母の命日は、偶然にも、自分の望んだ通り、彼岸の中日となった。また、常々ポックリ逝きたいと言っていたが、それも願い通りとなった。末期ガンという診断で入院した日、肺梗塞、いわゆるエコノミークラス症候群で突然亡くなったのだ。当初は、ただ驚き、残念な思いが強かったが、今となれば、辛い治療をするより、むしろ良かったとさえ思える。苦しまずポックリというのは、何より母が望むことであったからだ。

これもまた偶然ながら、たまたま訪れた実家で、母がその日入院することを知り、私も付き添った。おかげで、亡くなる直前の母と話すこともできた。

人の世話はよくしたが、自分のために人の手を煩わすことは極力避ける人であった。私と次兄には、心配をかけまいと何も知らせてこなかったので、母が検査を受けたことすら知らなかった。まして亡くなる10日前に東京まで来ていたので、まさか病気とは思いもよらなかった。本人にもまた、思いがけないことであったに違いない。

また、墓参りの話になると決まって、どこに居ても、そこから手を合わせてくれたら充分、わざわざ来るに及ばずとも言っていた。お盆やお彼岸には、なるべく実家へ行くようにしているが、母の言葉のおかげで、行けなくても後ろめたさはない。そんな時は、実家の方角に手を合わせている。母も笑って答えてくれるだろう。

ちなみに先週の土曜、お盆にはやや早かったが、築地で朝食を頂いてから実家まで足を伸ばし、墓参りも済ませてきた。行ける時は行くが、無理はする必要がない。全てを四角四面にやろうとはせず、運用は柔軟なのが良い。それが、何でも長く続けられるコツでもある。信心深さは受け継がなかったが、心根は踏襲していけたらと思っている。