照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

スマホの機種変更で機械音痴の自分にがっくりの巻

次男の持つシムフリーのiPhone6sを見た私は、もう少し大きなプラスが俄然欲しくなった。すると、次男がオンラインショップで申し込んでくれた。希望機種が用意できたら連絡がくるので、本申し込みはそれからという。

いざ本申し込みの段になって、何が自分に必要か、まったく途方にくれてしまった。じっくり考えればいいのかもしれないが、初期の段階から、苦手なことへ脳が拒否反応を示して、自分で考えようともしない。結局、次男の助けを借りた。

週末に、いざiPhoneが届いても、設定もデータ移行も次男に丸投げという体たらくだ。実は、初めてiiPhoneにした時も、お世話になっている。自分でできないならガラケーでいいだろうとの、もっともなお言葉が蘇る。これでは、シムフリーまで待った意味がない。

私の場合、機械音痴を免罪符にして、自分でやろうという意思がないことが問題だ。次男にもよく言われるように、分からないが先ず在りきなのだ。一度誰かに頼ってしまうと、きりがなくなってしまうと、改めて思った。

申し込みの段階で間違えたところで、料金が高くなるだけなのだが、できない割には、一つづつの判断を適正にしたいとの思惑が働いてしまう。店舗で申し込んだら、私など、係の人の言う通りにしてしまうだろうなとも思った。

会社でも、スマホを変えたら、何だかいろいろなオプションついちゃってると、年若い同僚が困ったように言っていた。年上の男性は、よく分からないから、何度もショップに足を運んで面倒だったとも言っていた。

それが耳にあるものだから、つい臆病になってしまって、次男に出番を乞う始末となった。相変わらず、スマホでブログを書いたり、本を読んだりしている私には、大きな画面はありがたい。今やスマホは、必需品だ。設定その他は苦手だが、やはりガラケーには戻れない。

世の中が便利になる反面、古い頭には扱うのが難しいことばかりと、ため息が出てしまう。これまでもっと大きな場面では、何でも自分一人で判断して進めてきたのにと思うと、小さな機械を前にお手上げ状態の自分に、オーバーではなく、かなりの無力感を覚えた。だが、苦手と最初から判断の放棄をすることが、一番いけないと反省した次第。