照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

なかなか甘くない結末ー『春にして君を離れ』

『春にして君を離れ』(アガサ・クリスティークリスティー文庫81・早川書房・2004年)を読み、どうしてこのような終わり方なのかと愕然としてしまった。

成功した弁護士の夫を持ち、三人の子もそれぞれにまずまずの伴侶を得て、自分の人生にすっかり満足しきっている48歳の主婦ジョーン・スカダモア。

病気の次女を見舞ってバグダッドからイギリスへ戻る途中、宿の食堂で偶然女学校時代の友人ブランチ・ハガードに会う。彼女は、同級生の憧れの的だった当時とはおよそかけ離れて、"薄汚れた中年女"(P・10)になっていた。ブランチもジョーンに気づき、気乗りしないまま会話する羽目になる。

そこで交わした言葉の幾つかが、やがて、砂漠の何もない町で足止めされたジョーンの頭に不意に浮かんでくる。悪天候のため来ない電車を待っての数日間、読む本も尽き、結局、これまで自分が見ようとしなかった過去に、向き合わざるをえなくなる。そして、自分自身の真の姿に気づく。

自分の配慮のおかげで、今の皆の幸せがあると誇らしく思っていたのだが、実際は、自分のひとりよがりから家族を支配し、それがどれほど夫や子を不幸にしてきたかを悟る。夫に赦しを乞いたいと思った丁度その時、"彼女が細心の注意を払って自分のまわりに築きあげた防壁が、押し寄せた不安と孤独の潮に洗い流されたその瞬間に。"(P・274)、タイミング良く汽車が来て帰れることになる。

子どもたちが大好きだったのはいつでも父親のロドニーで、思慮深い夫が傍らに居たからこそ、子どもたちも道を誤らなかったと解ったジョーンは、心から夫を愛していると強く感じる。我が家に帰り、夫が仕事から戻るのを待つ間、

"ロドニー、赦してー知らなかったのよ!
 ロドニー、ただいま・・・今帰りましたのよ!"
(P、306)

どちらの言葉を選ぶかさんざん悩むが、・・・。

そしてエピローグでは、ほとんど夫ロドニーの心の内が綴られているのだが、事件は何も起きないにも関わらず、最後がまさにミステリーのようで怖い。ミステリー小説なら、むしろここから始まるのだろう。

"学んだことのたった一つの証は変わることである"という、教育哲学者・林竹二さんの言葉を借りれば、ジョーンは、結局何ひとつ学ばなかったのだ。今の日本では、子育て世代の親層が二分化されているとはよく言われることだが、このジョーンのような人は、ますます増えているに違いない。最悪なことに大半の夫たちは、ロドニーのように思慮深いどころか、自分の敷いたレールこそが子のためになると、信じて疑わない妻の言いなりだ。

心理描写はさすがで、ミス・マープルや、エルキュール・ポワロが活躍するミステリー同様、ジョーンの心の謎解きに、ぐんぐん引き込まれるようにして読んでしまった。だが、最後に救いのない話は哀しい。自分は家族の要と思っていたのに、むしろ皆から疎んじられている存在と気づき、てっきり再生する話かと期待していたが、アガサ・クリスティー先生、そんなに甘くはなかった。