親子関係はもっとあっさりが理想だー映画『海よりもまだ深く』を見て
『海よりもまだ深く』(渋谷シネパレス)を見てきた。これまで日本映画やテレビドラマにほぼまったく縁がなかった私が、役者さんに言及するのはおこがましいが、阿部寛のダメっぷりはなかなか板についていた。かつて「坂の上の雲」で秋山好古を演じた時の、凛々しく厳しい印象とは打って変わって、全身にショボさを漂わせて歩いて行く姿がとても良い。
見間違えでなければ、本棚に島尾敏雄の作品集もあったように思うが、しかしまた、なぜここに島尾敏雄?と、唐突な感じもした。私の読んだ範囲での島尾敏雄と、主人公はもとより、映画の雰囲気も違いすぎる。姉が、島田紳助賞と間違えるのだが、まさか主人公が、"島"しか合ってないと言うためか。
全般を通して、これはひたすらノスタルジーの世界だなと思った。母と娘、母と息子の会話も、いかにもというあるある感が滲み出ていて、見ていてほんわかしてくる。その一方で、子どもたちが独立した後は、親子共に、もうこのような付き合い方は卒業しようよとも思わせられる。
たとえ実の親子であろうと、子どもは預かりものと捉え、成人したら親の役目はお終い。自分の寂しさ、心細さを我が子に埋めてもらおうとはせずに、潔く子を解放してあげたい。子の方は、育ててもらった恩を、我が親にではなく次世代に返せばいい。それは、子の有り無しに関わらず、次の世代を担う者全てが対象だ。
これは、ずいぶん若い頃に、私が母から学んだことだ。何かの拍子に、いつか恩返ししなければねという私に母は、自分に返す必要はないから、次の者たちにしてあげればそれでいいと言ってくれた。私を気遣ってしばしば手を貸してくれた母だが、逆に自分は、子どもたちに頼ろうという姿勢は決して見せなかった。
もっとも母は、退職後もちょっとした役を仰せつかって忙しい上に、趣味にも精を出していたので、人を当てにする暇もなかった。高速バスで2時間ほどの場所に住んでいたが、電話で話したり会ったりするのもほんのたまにであった。今となれば、お互いずいぶんあっさりした関係であったことに気づく。でも、心は十分通じていたので、それで良かったと思う。
世の中では、親子関係の幻想に囚われ、悩み苦しんでいる例などもよくニュースとして流れてくるが、親子には、もっとあっさりした関係こそ必要ではないだろうか。これからはいっそ意識の転換をして、室生犀星の詩の一節、"故郷は遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの"に倣って、"親は遠きにありて思ふもの"くらいに留めておく方が良いかもしれない。探偵事務所の後輩のセリフに、いちいちしみじみとするのだが、推測ながら、彼と親との関係がちょうどそんな感じかなと思われた。
ところでラストシーンは、未来への希望が予感されて後味が良かった。終わり良ければすべて良しと言うが、やっぱり私は明るい終わり方が好きだ。