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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

主義を貫く凄まじい生き方ー井伏鱒二氏のエピソード『晴れた空 曇った顔』より

『晴れた空 曇った顔』安岡章太郎著・幻戯書房・2003年)に、"追筆 1993年7月26日・・・「他人をはばかる情愛の深さ」"(P・52~56)という井伏鱒二さんについてお書きになった短い文章があるが、これもこちらの心に深く染み入る。

"井伏さんについて語る人は、誰しもその温かな人柄と庶民感覚とを上げる。私もそれに異論はない。しかし同時に、それは、井伏さんの人柄の反面であるに過ぎないことも知るべきであろう。井伏さんのやさしさは厳しさに通ずるものであり、とくにご自身や家族の方々に対する仕つけの厳しさは、想像の他であったと聞く。"(P・52)

入院していた著者が退院した後で井伏家に伺うと、先客があり酒盛りをしていた。皆親しい人ばかりであったので、酒宴に加わる。トイレに立った時、奥から線香の匂いが漂ってきたので、廊下で会った奥様に伺ったところ、"昨日次男が亡くなり今日、葬式をしたという"返事だ。

部屋からは、井伏さんが冗談を言われたようで笑い声が聞こえてくる。呆然としたまま、部屋に戻って皆の前で尋ねると、もっと驚いてしまう。

"「そう、僕は葬式には出ない主義だから出ないんだ。ただ、あしたは大助の息子の結婚式があるんでね、これには僕が代理で出るつもりだ。いくら何でも結婚式に片親が欠けているのは可哀相だからね」"(P・56)

著書が後で井伏家の事情をよく知る人にきくと、次男の大助さんにはとくに目をかけて可愛がっていたが、他人の前では絶対に披瀝したことがないという。

"それを聞いて私は、井伏さんの剛情我慢に歌舞伎の「先代萩」を想い出した。由来、日本人の家族愛は、絆が強ければ強いほど、表面はさりげなく、内奥に苛烈なものが燃え立っていたはずだ。しかし、そのような他人をはばかる情愛の深さは井伏さんで終わりを告げ、後をつぐ者はあるまいと思われる。"(P・56)

これを読んだ時、自分の生き方を貫く凄まじさにタジタジとなったが、改めて大した方だと思う。まして、急死という思いがけない事態にも泰然としていられるというのは、並の人間にできることではない。日頃どのような主義を標榜しようが、いざとなったらそのようなものをかなぐり捨てて慌てふためく人がほとんどだと思う。

もちろんこれは良し悪しの問題ではなく、人としての生き方の例なのだから、真似する必要もない。著書の安岡章太郎さんも言っておられるように、"井伏さんで終わりを告げ、後をつぐ者はあるまいと思われる。"だ。

ただ、"とくにご自身や家族の方々に対する仕つけの厳しさは、想像の他であったと聞く"というように、どれほど強くご自分を律してこられた方だろうという思いが湧く。

自分が決めたことを通すといっても、とかくうるさいのが外野だ。その声に怯まず、自分の主義を守り抜くには、相当強い心がなければ無理だ。そしてそれが、"井伏さんのやさしさは厳しさに通ずるものであり"となるのだと思う。ともかく凄いの一言だ。