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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

本の処分をしながらいろいろと考える

このところ、また荷物の整理をしている。私の部屋で家具と呼べる物は、小さな折りたたみ式のテーブルと籐のスツール、それと2段のカラーボックスが4個だけだ。ここに納められているのは、日樹的に使用する小物類の他は、語学学習関係を含めほぼ全てが書籍だ。

語学学習に必要な本以外は、これまでにだいぶ処分したつもりであったが、実際に数えたところ、思った以上に残っていた。どの本にも思い入れがあって、手放し難く残していたのだが、この際一大決心をして更に処分した。

ヒモで結わえた幾つもの小山を見ながら、とてつもない無駄と感じた。繰り返し読んだ本は、身になっているのだからいいだろうという思いはあるものの、それでもやはり、壮大な無駄と感じる。壮大とは何とオーバーなと笑われそうだが、そこに見えたのは、自分が所有する本ばかりではなく、日本中で捨てられるゴミだ。

単純に言えば、結局、経済ってこのような膨大な無駄で成り立っているのかなと思う。景気が良いとされていた時期は、物が溢れていても尚、さあ買えさあ買えとばかりに次々と目新しい物が出てきて、人々の心をくすぐっていた。何の考えも無しに、買ってはゴミに出すの繰り返しが、いわゆる〈経済の活性化〉に貢献していたことになる。

だが、ここ何年も、物が売れないと言われ続けている。不況時には、父ちゃんの服から買い控えられると言われ、父ちゃん指数なるものもあった。だが、かつてデパートの婦人服売り場は、母ちゃんの聖域の如しであって、あまり景気に左右されなかったという。

しかし今ではそれが、崩れてきている。母ちゃんだって、服の価値が価格に見合うかどうかしっかり考えていて、もはや見栄では選ばない。だから売る側だって、旧態依然のままではますます尻すぼみだ。これまでとは大幅な方向転換が、求められている。

でも、既に遅しの感がある。もう、皆気づいてしまっている。消費が、物から体験へと変わってきているのもその現れだ。壮大な無駄を生み出すことで経済を回すのは、ちょっと突飛な想像かもしれないが、カゴの中で輪を回し続けているネズミみたいだ。疲れ果て、輪からちょっと降りてみたら、もしくはたまたま落ちてしまったら、漕がないでいる方がずっと楽だと分かったのだ。

本の整理をしながら、考えがあれこれ飛躍したが、結論は、もう物は持ちたくないということだ。ミニマリストになる意図はなかったが、結果として限りなく近づきつつある。人が生きて行くのに必要な物は、実際どれくらいなのだろう。それを考えつつ、ここ数日せっせと処分している。